ぼくは基本的にどんな映画でもなんとかおもしろく
見られる人なんですが、まあ、この映画は難しかった。
原作は先に読んでいたのだけど、それもあまり
理解できず、自分の頭のCPUの劣等を呪った。
パソコンに例えると、ハードディスクもメモリも少ないしで、
「どうにかならんのか、おれの頭」ってたまに思う。
それはさておき、原作の評判が高いとどうしても映画は
酷評されるもの。逆も同じで、映画のノベルズなどは
ほとんど話題にもなりません。
で、どうつくっても誰かが酷評するのだから、それを覚悟でつくった
この映画の監督はすんごくがんばった方だと思う。
ただ、講釈があまりにも多すぎた。説明的なセリフが多すぎて、
謎解きの面白みも少ないばかりか、画的な動きも少ないので
かなり眠気を誘う。
30分経過したところでうとうとし始めた。
しかし、そっから話が動き始めて、説明的なセリフも
気にならなくなってきた。
最後には「えっ、えっ、この先どうなるの?」ってな感じで
ぐいぐい引き込まれていったのでした。
〔それが原作を読んでたのに理解できてない証拠(笑)〕
一神教であるキリスト教の人たちがこの映画をどうとらえるかは
多神教である日本人とは違うものだろうと思う。
だから日本人にとっては、単なる謎解き映画として、
エンターテイメント性をもって見られる。
それを一神教のキリスト教の人たちに「まあまあ、映画なんだから」
と言ってみてもしょうがないことだ。
『ダ・ヴィンチ・コード』は、日本人であるぼくにとって、
30分以降はとても楽しめた映画なのでした。