きみに読む物語

原作は超有名な純愛作品らしく、この映画もアメリカでは
「マディソン群の橋」を軽く抜くヒットだったらしい。
でも、純愛作品より不倫を描いた映画のほうが日本では
ヒットしたというのだから、なんといえばよいか。
純愛が失われているからヒットするのか、
不倫が実際は少ないけど願望はあるからヒットするのか。
まあ、公開の時期とか宣伝の仕方とかヒット要素はいろいろあるので、
だからどうこうとはいえませんが。
(以下、ネタバレがあります)


富豪の娘と、ある木材加工場で働く青年の恋物語を、
施設で暮らす認知症(?)の女性に、ある男性が読み聞かせる。
純愛は純愛でも、
「時期がくれば二人は引き裂かれる運命」とか、
「娘の両親の反対」など、二人の恋路を邪魔するお決まりの障害がある。
でも、そういうのを乗り越えて、恋愛を成就させるわけである。
別れ際のセリフのやりとりとか、双方に想いはあるのに、
「終わったんだ」と無理やり自分を納得させるあたり、
単に甘いだけじゃなく、リアルなストーリーであった。
ふたりは若いとき、いつもぶつかり合う。
7年の時を経てもやっぱりぶつかり合う。
もしかしたら相性の合う相手ではないかもしれない。
でも相手を必要とする気持ちを持っている。
男はいう。
「二人がうまくやっていのは難しい。努力が必要だ。
でも努力をしたいと思うんだ」
このセリフにひどく共感した。
「努力したいと思える」というものが、もしかしたら
愛情というものなのかもしれないと思った。
じゃあ、努力したいと思える感情が愛情からくるものだとしたら、
愛情はどこから来るのかな。それもやっぱり努力からくるのだろうか。
ニワトリが先か、卵が先かの話になるけど、やっぱり関係を続けて
いくには努力が必要だってことだろう。
男は人生の最後まで努力をし続けたことが、
映画の最後になって明かされる。
男の、あの言葉は本当だった。
また20年後くらいに見返したい作品です。