神仏習合と最上稲荷

思えば、神と仏について興味というか、疑問を持ったのは
初詣のときではなかったかと思う。
私の郷里、岡山県には三大稲荷のひとつ(三大稲荷には諸説ある)の
最上(さいじょう)稲荷という寺がある。
ここで「ん?」と思った人は岡山県に行ったことのある人かもしれない。
そうなんです、最上稲荷は寺なんです。これは後述します。
その最上稲荷には鐘があって、大晦日になると108回つかれます。
なのに、キツネの石像があって、初詣にも行きます。
あと、仁王像もあります。狛犬もあったような…。
大学生だったと思いますが、当時、初詣に行ったとき、
「神社に鐘がある? 鳥居もあるよ? 仁王像って寺にあるよね?
なんでキツネもいるの?」って訳わかんないことばっかだった
んですね。そう、私は最上稲荷が神社だと思っていたんです。
それまでずっと寺に初詣に行っていたということに気づいて
なかったんです。
これには訳があったんです。
6世紀になって、仏教が外国の宗教として入ってくるまでの日本は
森前首相言うところの「神の国」であったわけです。
人類古来の日本の神は、太陽・山・岩(磐)・大木など自然のものや
雨・風・雷など自然現象が神の対象だったわけです。
そこへ仏教が入ってきたことで、神仏習合になったんです。
私の浅はかな見識では、日本の神の思想には教義がなかったため、
具体的な行動を示唆してくれる仏教は受け入れやすかったのでは
ないかと思います。
で、神も仏もいっしょくたになってやってきたわけですが、
明治になって神仏分離という政策が行われて、神と仏が分けられました。
それで、どういうわけか最上稲荷神仏習合のまま、
神社形式の仏閣として存続を許されたらしいのです。
最上稲荷最上稲荷教という仏教の総本山なのですが、
最上稲荷の本殿には、最上三神という三つが祀られています。
本尊は「最上位経王大菩薩」。菩薩だから仏教です。
一つは「八大龍王尊」で水を司る神さまとされています。
最後は「三面大黒尊天」で魔障をはらい人々に幸福を授ける神さまです。
菩薩(仏陀の次の位にあり、悟りを求めて修行を重ねている者のこと)
と神様が一緒に祀られているわけです。
なんでそんな複雑なことになったのかはまだ調べてません。
そうそう、最上稲荷の初詣ではお線香をあげて境内(?)を回ります。
初詣でお線香をあげるなんて珍しいですよね。
日本人の内側にはずっとこういう「いっしょくた」の精神が
宿っていたのです。
だから、クリスマスを祝った6日後に除夜の鐘をつきにいっても
いいのだと思います。それが日本人なのだと思えるのです。
最近、そういうのがやっと受け入れられるようになりました。