やりたいことがなくても

「なんにもやりたいことがない」と就職時に悩む人が多いという。
昔はやりたいことなんかできるはずがなかった。
食っていくことが第一優先課題だったからだ。
今は豊かになったから「やりたいこと」ができるようになった。
けれども、今ある職業の中で「やりたいこと」があるほうが
めずらしいことなのではないかとさえ思えてくる。
「やりたいこと」などなくていいんじゃないかと思う。
食っていくために何か仕事をする。それで十分だと思う。
私の周囲にいる友だちは、最初からその道を志していなかった
人のほうが仕事は長続きしているような気がする。
友だちに聞いてもそういう人が多いという。
なんとなく始めたらおもしろくなったという人が多いのだ。
変に志を持って始めた場合、その志が間違っていたとか、
志が達成できそうにもないという場合、「こんなはずじゃなかった」と
いってさっさと辞めてしまう。
どこか別の場所(会社)に行けば、
願いが叶うような気がしているらしいのだ。
与えられることに慣れきっているから、
与えられなければ不満になるわけだ。
自分のほうに原因があるとは考えない。自分の欠点を見つめるのは
誰だって苦しいからだ。上司批判をする人はだいたいそういう人が多い。
ともかく、まだ始めてもいないうちから、キレイな結果だけを夢見ると
落胆することが多いことは多くの人が実感するところだろう。
そうならないためには、多くの先人たちが
「ともかくまずやってみることだ」と言っている。
以前、アダルトビデオに出演する男優を取材したことがある。
彼がおもしろいことを言っていた。
「AV男優は、最初は〝やりたい〟という目的だけで始め、
その後、金のために割り切って仕事をするようになる。
逆にAV女優は、最初は金のために割り切って仕事をするが、
その後、〝自分の居場所〟とか〝存在意義〟を見出すために
仕事をするようになる」というのである。
仕事のモチベーションがまったく別のベクトルに変化するのだ。
これはおもしろい仮説である。
最初はなんとなくでもはじめた仕事が、のちの天職になっている人が
大勢いる。そっちのほうが多いとさえ思う。
「何か自分のやりたい仕事を探せ。そのために個性を伸ばせ」と言われ、
その末に悩んでしまう若者は多い。
周りに「なんでもいい。とりあえず働け。自立しろ」
という人がいたほうが幸せなような気がするのだ。
「やりたいことが見つかるまで働かなくていい」なんて一見優しげな
対応は本人を根っこから腐らせるだけ。
「やりたいこと」がある人のほうがエライなんてこともない。
〝働けない〟人たちを躊躇させているのは、そうした社会の風潮、
つまり「やりたいことがない人生はつまらない」という雰囲気では
ないだろうか。
昔、食っていくことを優先して職業に就いた人たちは
つまらなく仕事をしていたか? 決してそんなことはない。
集団就職で都会にやってきて仕事をするなかで、やりがいとか仕事への
動機付けを育てていったのだ。そうやって仕事はするものだ。
そんな気がしてしかたないのだが、どうだろうか?