「せいぜい」京都に行きたくなった

言葉が同じでも違う印象を受けることがあるんですね。
いやね、京都に日帰り出張に行ったんです。
行った先の丸太町という駅の近くの喫茶店
張り紙がしてあったんです。
「コーヒー1杯350円。コーヒー券10枚つづり3150円」
それで、その次にこう書いてあったんです。
「せいぜいご利用ください」
「なぬ!?」って思いましたね。
「せいぜい」だとぉ。このぉ〜って思いましたね。
「せいぜい」というのは、あまりよい意味で使わない。
「せいぜいがんばれよ」と言われたらあまりいい気持ちはしない。
裏に「ダメだと思うけど、せいぜいがんばれよ」という気持ちが
隠されているからだ。
ところがですよ。東京に帰って調べてみたら、
「せいぜい」とは「精々」と書き、京都では「ますます」とか
「うんと」といった意味があるのだと、
いくつかのサイトに書いてあった。
そもそも私が思っていた「せいぜいがんばれよ」というのは、
もともとの意味からしても間違っている。
辞書に載っている意味は「せいぜい1万円がいいとこだ」のように
「たかだか」「十分に高く見積もっても」という意味と、
「力の及ぶ限り」「精一杯」という意味がある。
私がなぜ「せいぜいがんばって」を嫌味ととったかは不明だが、
私だけでなく、他の関東出身の人もそうだという。
「せいぜいがんばる」は「精一杯がんばる」という意味なのだ。
だから、「せいぜいがんばれ」というのは最大限の励ましなのだ。
ところで、京都における「せいぜい」はこれとは違っていて、
「ますます」とか「うんと」という意味になっている。
これはなぜなのだろう?
この謎を解明したい。
せいぜいまた京都に行きたくなった。