忘却の弁当箱 

もう、末期症状かもしれない。
ぼくの脳のことです。
最近、自分でお弁当をつくって仕事場に持っていっているんです。
なに、そんなたいしたものじゃありません。晩飯の残ったのとか、
フライパンひとつでいためられるようなものたちを入れただけです。
最初の事件は木曜に起こった。
その日、ぼくは弁当をつくって仕事場に持っていって食べたんです。
金曜日、その弁当箱を出すのを忘れていて、空の弁当箱を
仕事場に持ってきてしまいました。
その日、せっかく持ってきたのだからと、職場の台所で
弁当箱を洗い、自宅に持ち帰りました。
月曜日、今度はその洗った空の弁当箱を、また仕事場に
持ってきたのでした。ご丁寧に土日を挟んだのです。
空の弁当箱を二往復させたわけです。
弁当を持っていくのが毎日のことではないので、家に帰ると弁当箱を
出すという習慣がないからです、と言ってしまえば簡単だが、
ことはそう単純ではない。
たまに、弁当をつくったことを忘れ、外に食べに行きそうになる。
つくったことを忘れ、食べたことを忘れ、弁当箱を取り出すのを忘れる
という、忘却の三重奏を奏でたわけだった。
いや、こうなるともう末期症状に違いない。間違いない。
日々、脳しか使ってないはずなのに、全然脳が鍛えられてない。
なんなんだこの体たらくは。どうしたんだ一体。ダイジョウブカオレ。
で、何が言いたかったんだっけ?
うーむ、何かオチがあったはずなんだが。
それを忘れた。
オチを忘れたことはもう忘れよう。
「忘却はよりよい前進を生む」
これさえ覚えておけばいい。