弁当の思い出

長女の幼稚園では、「お泊まり会」と称して、
都内の山へ2泊3日で登山に行く。
登山といっても山に行って、それほど高低差のないところを
荷物をほとんど持たずに歩くものだ。
とはいえ、親と離れて寝泊まりしたことがない子がほとんど
あるので、本人らにはそれなりの緊張感はあるのだろう。
いろいろと決まりがたくさんある。
たとえば、弁当はすべて燃えるごみになるように、
弁当箱から中の仕切りまで揃えなくてはいけない。
紙の弁当箱を用意する家庭も多いだろう。
そんなことを妻から聞いていて、小学校だったか、中学校だったか、
修学旅行のことを思い出した。
初日は新幹線の車内で弁当を食べると、「旅のしおり」には書いてあった。
「車内で弁当」ということだけだったので、
母親から「弁当はいるん?」と聞かれた私は、たぶんいるのだろうと思い、
母親に弁当を発注したのだった。
ところが、昼になって驚いた。
先生が弁当を配っているではないか!
「ええー、弁当って出るんだったん!」と内心思った。
だが、そこは多感な少年期。
「わー、おれ、弁当もってきてしもうたわー」などと
能天気に言えるはずもなく、出された弁当を黙って食べた。
いつ捨てるか、どこに捨てるか、私は考えた。
宿のゴミ箱に捨てたら、絶対にバレる。
しかたなく、私は観光地のゴミ箱に弁当をこっそり捨てた。
まんまと誰にも知られることなく。
そのときのが、紙でできた平たい弁当箱だった。
行った地で捨てられるようにしてくれていたのだった。
そのときのずしりとした弁当箱の重さは忘れない。
帰ってきてから、弁当のことは正直に母親に話した。
「そんなのちゃんと聞いてこんと!」と叱られた。
母親としてはさぞやがっくりきたことだろう。
当時は、母親に対して申し訳ないというより、
食べ物を無駄にしてしまったという罪悪感のほうが強かった。
「食べたよ、うまかったよ」という方便を
今なら思いつくことができる。
何にせよ、弁当というのは、ありがたいもので
不思議と弁当の思い出は消えない。
今、子どもやダンナさんに弁当をつくってあげているママさんたちも
毎朝、大変だと思うが、がんばってつくり続けてあげてほしい。
食べた人には、いつまでもその思い出が残るから。