裏山の木を切るかどうか

政治に興味を持つということは、ぼくは「自分の家の裏山の木が
切られるかどうかに興味を持つこと」だと思っている。
裏山の木が切られると、大雨が降ってきたときに
地すべりを起こして家が流される危険性がある。
そういうときに、自分の家の裏山の木が切られるかどうかに
無関心な人はいまい。
なぜなら自分の命に関わるからだ。
ただ、人間というのは、自分の身に実際に問題が起こってからでないと
なかなか実感することがない。だから興味を持たない。
だが、本当は今回の選挙は実際に自分の身に問題が降りかかってくる
ことが明らかな選挙なのだ。
世に「茹で蛙」のたとえ話がある。
カエルは熱湯に入れられると熱くて鍋から飛び出るが、
低い温度からコトコトやると、気持ち良くて「長風呂」になってしまい、
最後には「茹で蛙」になってしまうという。
今回の争点となっている郵政民営化、年金、増税などの対応いかんでは
確実に私たちの入っている鍋の温度は上がるだろう。
私たちの生活が、まだ大丈夫だと思っているうちに
実は鍋の温度はどんどん上がっていて、最後には私たちが茹で蛙
なってしまうかもしれない。
そうならないように、この国の政治を見極めていく必要がある。
裏山の木を切るのに賛成するのか、反対するのか。
一票を投じなければ、たとえ家が流されても何も文句は言えない。