戦後70年②

戦後、多くの戦犯が裁かれ、刑務所に送られ、靖国に送られた。
ここにも二つの考え方がある。
戦争を起こしたのは、当時の政治家や軍人たちであって、
国民はそれに騙されてついていくしかなかった犠牲者であるという意見。
もうひとつは、そうした政治家を選んだのは国民であって、
愚かな戦争を起こした責任は国民にあるのだという意見である。
私の意見は後者だ。
「愚かな政治家を選んだのは自分たち国民」だという視点に立たなければ、
誰もが責任を他人に転嫁する社会になる。
自分たちは弱者で、守られるべき立場の人であって、
優秀な人たちが賢い頭で考えたことを実行してくれればいいというのは
あまりにもアホすぎる。
日本と同じ敗戦国であるドイツにも同じ議論があるという。
つまり、国民はナチ党の暴挙の被害を受けた被害者である
という考え方である。
それは違うだろう。
そういう政党を偏った熱狂の中から生んだのは、
ほかでもないドイツの社会の空気だ。
「アホな政治家がアホなことをしたのは、国民の責任」
こうでなければ、議会民主制は成り立たない。
だから、選挙に行かなければならないのだが、
いまの日本国の国政選挙の投票率はどうだ。
参議院議員選挙なんか50%とちょっとだ。
政治家を批判するなら投票に行ってから言えというものだ。
ともかく、国家というのは、自分そのものであるという
ことが日本人一人ひとりに染みついていないと、
「自分は国家から守ってもらう存在」になってしまう。
戦後、日本は占領軍の日本弱体化政策とでもいっていいやり方で、
日本の国に対する忠誠心をそがれてしまった。
その揺り戻しがいまの「右傾化」と呼ばれている現象なわけだが、
これは右傾化でもなんでもなく、国民が国に対して持つ
自然な愛国心の現れである。
ではなぜ国家を守る必要があるのかというと、
それは平和と繁栄を守るために他ならない。
子や孫のために平和と繁栄を享受できる環境を
引き継ぐこと以外にない。