政治家の「目的」は何か?

民主党の新しい代表に鳩山由紀夫氏が決まりそうである。
7年前、氏について私が開設していたホームページで以下のような
文章を書いたことがあるのを思い出した。


2002年11月27日
例えば、「車に乗る」という行為について考えてみよう。
「ドライブをする」これは車を運転すること自体が目的であり、
楽しみである。
「車に乗って買い物に行く」この場合、車を乗ることは
移動の手段であり、本来の目的は買い物である。
同じことをしてもそれが目的になる場合と、手段になる場合とがある。
われわれの生活には、このことがしばしば逆転することがある。
極端な例でいうと、仕事が、最初はそれ自体が目的であったのに、
生活の糧を得るという目的にすり替わる。
逆に、最初は生活の糧を得ることが目的であったのに、
そこに生きがいを見出し、仕事自体が目的になることもある。
自分がしたいこと、言いたいことのすべては、
このように目的と手段とに一応、区別することができるように思う。
そこで、ぼくがふと考えるのが、代表選以来、
さらに評価を落としている民主党鳩山由紀夫氏についてである。
彼は、小泉首相構造改革路線について「国民の利益と
なることについては賛成する」とし、一貫した姿勢をとっている。
党内には「それでは政権交代はできない」という声もある。
その声に対して、鳩山氏は「日本という国がよくなることが民主党
目的であって、必ずしも政権を奪取することが目的ではない」と
はっきり言っている。
坊ちゃん育ちで甘いと揶揄される鳩山氏だが、
与党の政策を何でも批判して、議席さえ取れればいいという政党や
政治家とは一線を画している。
政権を取ることが目的になって、何でも批判したり公約を
破ったりする政党や、当選することが目的になってそのために
聞きざわりのよい政策しか打ち出せない政治家がいる。
当選することが、議員になって日本をよくするための手段ではなく、
目的になっている。
政権を取ることが手段ではなく、目的になっているのだ。
そんな政治家や政党にはない可能性を、
ぼくは鳩山由紀夫という男に見る。
あまりにも手段と目的がすり替わっている議論がここのところ
多すぎるのだ。目的と手段を意図的にすり替え、大義名分を
振りかざす政治家さえいる。
収賄などの汚職はその典型だ。
「政権を取ることはあくまで日本をよくするための手段であって、
目的ではない。目的はあくまで日本国民の利益であることを崩さない」。
一見、青臭い議論のようだが、今の時代には鳩山由紀夫のような男が
絶対に必要だと思うのだ。


以前はこうであったのに、7年の時を経て、鳩山氏は党の利益と
政権交代についてしか話さなくなった。さびしいことである。
政権交代が目的なら、民主党に政権をとってもらったら困る。
「日本をよくすること」が目的なら政権をとってがんばればいい。
実際のところ、自分が死んだあとのことなんてどうでもいいという
政治家は相当いると思う。政治家はまずは自分の当選が第一だ。
誰しも生きていくために食べなければいけないから、
選挙で勝つことに腐心するのを否定する気はない。
「選挙で勝つこと」が、「日本がよくなること」の延長線上にあれば、
政治家は単純に選挙に邁進すればよく、力学的にも理にかなう。
そうなっていないから問題がある。
なぜだろう。
いろんな問題は多々あると思うのだけど、つきつめていくと
「国民が<長期的に>日本をよくする政治家に投票する」しかない。
そういう政治家を選んでこなかった国民が悪い。
自分の目先の利益を達成してくれそうな人ではなく、
長期的に日本のことを考え、動く政治家に投票することだ。
そうすれば日本はよくなる。
そう思えなければ、とてもじゃないが
「日本国民」なんてやってられない。