世に「マイナー志向型人間」(自分が名付けました)とでも言うべき人たちがいる。
メジャーなものすべてを忌み嫌い、マイナーを愛す。
大衆迎合が嫌いで、メジャーなものを好むことは資本主義、市場経済の
波に飲み込まれることだと考えている。
「わたしだけが知ってる」
ことに快感を覚える。それが自らのアイデンティティーを形成する
ことだと考えている。
かく言うぼくも10年ぐらい前はそういう傾向があった。
読売ジャイアンツが嫌いだったし、深夜のお笑い番組で
名もない芸人のおもしろさを見つけ出すのが心地よかった。
ところが、いつだったか、ふと、気づいた。
「それって本当か?」
と、ただ人と違うことで満足しているんじゃないのか、と考えた。
ハッとした。このままではいけない。
それからぼくは、「いいものはいい、悪いものは悪い」と、
素直に言えるようになった。
おもしろいものは誰がなんと言おうがおもしろい、
おもしろくないものは誰がなんと言おうがおもしろくない。
『タイタニック』はおもしろいが、『ラストサムライ』はおもしろくない。
こうでないと、人に対しても偏見をもってしまう。
「あの映画で泣けないなんて、人格を疑うよ」
ということになってしまう。
他人がいいと思うものが、自分もいいと思うとは限らない。
逆もまた然り。だからといって、仲良くなれないわけではない。
男でも宝塚やジャニーズが好きでもいいし、
若いのに盆栽や詩吟が趣味という人がいてもいい。
それを変だ、とは誰も言えない。
「いいものはいい、悪いものは悪い」と胸を張って言う。
単純なことだけど、そんな単純なことができなくなったら、
たぶん、人生、そうとう、つまんないだろう。