「説明したくなる欲求」との向き合い方

映画「君の名は。」の他の人のレビューを見ていると、

いろんな見方があっておもしろかった。

いろんなことが説明不足、という意見が多かった。

「それを説明すると野暮」といった次元のものではなく、

メインのストーリーに対して枝葉のところは、

見る人の想像力、解釈に委ねているということ。

「クリエイターというのはわかってほしい人種」と岡田斗司夫氏は

いうのだが、そのために説明を尽くそうとすると、

いろんなところで矛盾が出てくる。

私も若いころ、文章を添削してもらったときに

「下手に触れるから説明しないといけなくなる。

だったら、触れずに逃げておけばいいんだよ」

とよく言われたものだった。

「説明したくなる気持ち」をぐっと抑えて、

「本当に言いたいこと」をメインのストーリーの中で

語っていくべきだと。

じゃあ、メインのストーリーの中で本当に語りたいことは何かというと、

「人と人との縁(結)」と、「運命に挑む」ということの2つだろう。

この映画は、心とからだの入れ替わり、タイムリープ

パニックもの、それにラブストーリーを掛け合わせた

とても複雑な構造になっている。

ラブストーリーの軸にこれらの要素を絡ませながら、

男女の出会いの中にこの「人と人との縁」「運命に挑む」という

2つのファクターを埋め込んでいる。

人と人とが出会い、行動することで運命を変えることができる、

これが言いたかったことではないか。

現状に悲観したまま生きるな、人と出会い、行動し、

運命を変えていけ、この映画の監督はそういっているのだ。

これは閉塞感漂う現代に生きる私たちにとって、とても重要なテーマ。

何回も見直したくなるそんな映画でした。