こういう人間にはなるまいと思えれば、
「それってどうなん?」と思う人との出会いも無駄にならない。
以前、本に使う料理の写真を集める仕事があって、
1枚の写真につき、料理を作った料理研究家と、
その写真を撮った写真家の双方に連絡を取って許可を得た。
写真の著作権は撮った人に帰属する。
だから本来は写真家だけに連絡すればいいのだが、
筋を通して料理をつくった人にも連絡したわけだ。
7,8人の料理研究家に連絡を取ったが、一人だけ拒否された。
ギャラは発生せず、許可だけ欲しいと伝えると
「私が許可しなかったらどうなるんですか」というので、
「著作権的に使うこともできますが、
仁義にもとるので、使わないようにしようと思います」
というと、「じゃあ、拒否します」とのことでした。
許可しても拒否しても彼女的には何も変化は生じない。
写真家にギャラが入るか入らないかだけの違いだ。
要は、この写真家は「自分がつくった料理を使って、
他人が儲けるのは許したくない」という心情なのだ。
わかりやすいではないか。
でも、こういう人間にはなりたくない。
自分のつくったものが多くの目に触れることのほうを重視する。
そうなることを助けてくれているのは写真なのだ。
写真で儲けたいなら自分で写真を撮ればいいのだ。
こんな心の狭い人にはなりたくない。