「楽しい」という言葉はとても頻繁に使われ、
「楽」をラクとも読むから、安寧な状態、ゆったりとして
リラックスしておもしろがっている状態というとらえ方を
している人がほとんどだろう。
スポーツでいえば、競技としてやるのではなく、
レクリエーションとしてやるもの、という感じだ。
日本では、武道が心身の修養として開発された関係で、
明治になって輸入したスポーツも武道と同じように
修養のひとつとして認識された。
心身の修養(人格を磨くこと)が目的であって、
それをやること自体は手段であった。
ところが、もともとのスポーツの考え方は違う。
スポーツの語源は、ポート(港)から離れること。
港は労働の象徴だから、労働から離れて気晴らしをする
ことがスポーツのもともとの位置づけだ。
だが、日本ではスポーツも武道と同じようなものとして
取り入れられた。
このことは学校の「体育」の授業でスポーツが取り入れられた
ことからしても明らか。
だから、日本人にとってのスポーツは心身を高めるための
「目的」のために行う「手段」なのだ。
スポーツは、この目的のための手段なのだから、
楽しむものではない、というのが日本人には根強い。
だから、「スポーツを楽しむ」というと違和感をもつ。
この意識をずっと引きずっている指導者も多く、
そのため笑顔でプレーすると、「へらへらするな」という。
体罰をする指導者にも、無意識的に
競技スポーツは楽しむものではない、と思っている。
これはとても根深い問題だ。