鬼ノ城の立地のなぞ 

岡山県南部は、昔は瀬戸内海がずっと内陸まで入り込んでいた

ということがわかって、長年の疑問が氷解したことがある。

その疑問とは、鬼ノ城がなぜあんな場所になるのか、である。

鬼ノ城は、岡山で最も有名な英雄、桃太郎と関連付けられて

しまっているのだが、史実の鬼ノ城は古代の山城である。

私も中学校の遠足で行った覚えがあるが、なかなか高い山の上にある。

時は大化の改新が起こってから間もない663年。

朝鮮半島の白村江というところで、日本・百済の連合軍と、

唐・新羅の連合軍が戦った。

これを白村江の戦いという。

子の戦いで日本・百済は大敗してしまう。

報復を恐れた日本は、各地に城を築いて防御を固めた。

その一つが鬼ノ城である。

だが、鬼ノ城が海を渡って畿内に入ってくる唐・新羅軍を

監視するには遠すぎると思っていた。

鬼ノ城からも実際に瀬戸内海は見渡せるが、はるか遠い。

実は、瀬戸内海は岡山の内陸まで入り込んでいたのを

江戸時代からの干拓事業でいまのかたちになった。

干拓前の地図を見返してみると、なんとなんと!

鬼ノ城から瀬戸内海は目と鼻の先。

瀬戸内海を通ってやってくる外敵を監視するには

最高のロケーションになっていることがわかるのだ。

これで長年のなぞが解けた。

ああ、スッキリした。