昔、ちらっと教師になることを思ったこともあったが、
そうはならない人生を送っているが、
教えることはいつでもできる。
自分の子に限らず、学校では腰がひけてしまって、
正面から扱えないようなことを教えたい。
「そうよね、過去から学ぶことは大事よね」
いいえ、そうではありません。
あなたや私も知らないところで、いろんな差別がある。
表立ってはないように見えるけれど、
まだまだ確実にそれはあるんです。
学校はまったく腰が引けてしまっています。
なぜでしょう?
私はライターという仕事の性格上、差別については
特に敏感でいるつもりです。
なぜなら、原稿に差別用語があったらまずいからです。
若いころから何度か指摘されてきました。
版元の編集さんたちは、差別用語があると、電話がかかってきて、
その対応で簡単に1日が潰れてしまうことを知っているから、
特に敏感になるんです。
わかっておかないと、学んでおかないと、まだ過ちは起きます。
このことを考えることがイジメにもつながってくる。
学校で教えない「歴史」です。
これを学ぶ機会が本当にない。
そして、機会があったとして、それを学ばせたいという大人が
どれだけいるだろう。
やっぱりこれは私を含めた大人の問題なのだ。