映画『リメンバー・ミー』後編

メキシコにおける「死者の日」では、

亡くなった人の写真を祭壇に飾り、死者の霊が帰ってくるときに

迷うことがないように、マリーゴールドの花びらを

通りから祭壇にかけてまいておく。

祭壇はきらびやかに飾り、人々は顔にガイコツのペイントを

施して、陽気に過ごす。というようなことが、調べたら書いてあった。

先祖崇拝は、古今東西を問わず、普遍的な価値観といっていいだろう。

それは自然環境が厳しい太古の時代には、先駆者を頼って

移住を繰り返すしかなかったからだろう。

先駆者とはまず血縁者だった。

こんなに衣食住が豊富になる以前は、他者と助け合うことでしか

その命をつなぎとめることができなったからだ。

血縁者が助け合うことで生きながらえてきた。

そこから家族や親族は大切にするという意識が出てきた。

今のように、衣食住が満たされていると、

このことをつい忘れそうになる。

自分一人で生きていけているように錯覚する。

本当はそうではないのに。

メキシコにおいては、家族を示す範疇が日本人の感覚より

少し広いのだとわかる場面がある。

血縁者のうち、叔父や叔母ぐらいまでを「家族」と呼んでいるのだ。

生活が過酷であればあるほど、助け合わねばならず、

家族の結びつきを強めようとするということなのだろう。

先祖や血縁者、自分と関わりのあった、亡くなった人を思うことは、

自分が生かされていることを振り返る契機となる。

人は誰でも死ぬのであり、それは悲しいことはではない。

肉体は滅しても魂は不滅、残すのは思い出のみ。

それでいいのだという、基本的な死生観がこの映画にはあり、

それはとても共感できる。

死者を思うことで、死を思い、命のつながりを意識し、

生かされていることに感謝し、今を大切に生きる。

エンドロールの後に流れるメッセージ、

「時を超えて私たちを支え 

力を与えてくれた人々を決して忘れない」

にもそれが表れている。

このことは、「死者の日」やお盆などに共通する、

宗教を超えた儀式の本質的な意味だろう。

儀式を通じて、つながりを再確認することができれば

自分は孤独ではないと信じられる。

それはとても大きな癒しになる。

お盆や墓参り、それに付随する伝統的な儀式、行事、慣習は、

日々の生活で傷ついたり、苦しんだり、ストレスをためたりした

ものを癒し、明日を生きる活力を得るためのものと考えれば

いいのかもしれない。

お盆になったらまた見返したい映画だ。