アドラーとの出会い 中編

アドラー心理学の考え方は、自分がこれまで考えてきた、
楽に生きるための考え方に似ていることにも非常に驚いた。
かつてのこのブログでも書いたように、
「他人と過去は変えられぬというが、過去も変えることが変わる。
起こった事実は変えられないが、そのとらえ方を変えることができれば、
過去を変えたといえる」
と考えてきた。
これはまさしくアドラーの考え方なのだ。
また、「人間は自分が見たいものを見たいように見ていて、
自分が見たい主観的世界の中にいる」とも書いたが、
アドラーはどうやら、
「人は自分の主観的な世界に住んでいる」
といっているそうだ。
私が考えてきたことは、アドラーが言っていたことだったのだ。
たぶん、私が自分の頭で考えたことは、自分で作り出したように
錯覚していたが、先人のアイデアの組み合わせでしかないわけだから、
私がどこかで見聞きしたものの中に、アドラーの影響を受けた
ものがあったのだろうと推測する。
ともかく、そんなわけで私にはアドラー心理学がすんなり入ってきた。
人はとかくトラウマといって、自分が過去に経験したことが
いまの自分をつくりだしていると考えている。
家庭環境が悪かったからグレたとか。
家庭環境が悪いことを原因とし、グレたことを結果とみる手法だ。
これを原因論という。
一方、グレたというのは、自分がそうしたかったから、つまりグレる
ことを目的としてとらえて、過去の「家庭環境が悪い」という出来事を
結びつけることを目的論という。
つまり、人が生きるということは、原因論で成り立っているのではなく、
目的論で成り立っているのだというのだ。
過去をどのよう意味づけるか、それがライフスタイルだと言っている。
ライフスタイルは生まれ持ったものではく、
子供のころに周囲の環境によって身に着けるものだという。
ライフスタイルは後世身に着けたものなので、変えることができる。
変える勇気を持とうとアドラーはいう。
人間は変化にかけるコストを過大に見積もる習性がある。
誰だって不安より安定のほうがいいからだ。
でも、変わることができたら、苦しみは軽減されるかもしれない。
そういうことなのだろうと思う。