アドラー心理学の考え方は、自分がこれまで考えてきた、
楽に生きるための考え方に似ていることにも非常に驚いた。
かつてのこのブログでも書いたように、
「他人と過去は変えられぬというが、過去も変えることが変わる。
起こった事実は変えられないが、そのとらえ方を変えることができれば、
過去を変えたといえる」
と考えてきた。
これはまさしくアドラーの考え方なのだ。
また、「人間は自分が見たいものを見たいように見ていて、
自分が見たい主観的世界の中にいる」とも書いたが、
アドラーはどうやら、
「人は自分の主観的な世界に住んでいる」
といっているそうだ。
私が考えてきたことは、アドラーが言っていたことだったのだ。
たぶん、私が自分の頭で考えたことは、自分で作り出したように
錯覚していたが、先人のアイデアの組み合わせでしかないわけだから、
私がどこかで見聞きしたものの中に、アドラーの影響を受けた
ものがあったのだろうと推測する。
ともかく、そんなわけで私にはアドラー心理学がすんなり入ってきた。
人はとかくトラウマといって、自分が過去に経験したことが
いまの自分をつくりだしていると考えている。
家庭環境が悪かったからグレたとか。
家庭環境が悪いことを原因とし、グレたことを結果とみる手法だ。
これを原因論という。
一方、グレたというのは、自分がそうしたかったから、つまりグレる
ことを目的としてとらえて、過去の「家庭環境が悪い」という出来事を
結びつけることを目的論という。
つまり、人が生きるということは、原因論で成り立っているのではなく、
目的論で成り立っているのだというのだ。
過去をどのよう意味づけるか、それがライフスタイルだと言っている。
ライフスタイルは生まれ持ったものではく、
子供のころに周囲の環境によって身に着けるものだという。
ライフスタイルは後世身に着けたものなので、変えることができる。
変える勇気を持とうとアドラーはいう。
人間は変化にかけるコストを過大に見積もる習性がある。
誰だって不安より安定のほうがいいからだ。
でも、変わることができたら、苦しみは軽減されるかもしれない。
そういうことなのだろうと思う。