アドラーの「褒める」の意味

アドラーの本を少し読んで、だいたいのことは共感できるのだが、
いくつかはひっかかる箇所がある。
そのひとつが、「褒める」ということについて。
アドラーは褒めるという行為は、上の者が下の者に行う評価だと
言っている。
子どもの承認欲求は褒めることで満たされるが、
そのことに慣れると、褒められるために何かをやるようになる
というのである。
褒めるののではなく、「助かったよ、ありがとう」と言おうという
のである。それなら対等な関係だからというのだ。
「助かったよ、ありがとう」もいいのだが、
やはり褒めることは必要だと思う。
子どもというのは、自分のやったことがよかったか
悪かったかは、学ぶ中で身に着けていく。
それは親から学ぶのだ。
子どもには、基本的なやってよいことと悪いことの
価値観のベースを、最初は親が授けていく必要がある。
その土台ができたら、いちいち言わなくても自分で判断していける。
その判断の土台をつくるためには、
「それでいいんだ」という意味で褒める必要がある。
たぶん、アドラーが言いたかったのは、子どもを親の意のままに
動かすために褒めてはいけない、ということなのではないか。
世の中の善悪とか、こういう風に育ってほしいという親の教えではなく、
単にその場を収めたいだけ、子どもを効率的に動かしたいだけのために
褒めることは慎まなければいけない。
そうなると、言っていることにばらつきが出るからね。
評価ではなく、純粋な感想として褒めることはこれからもやっていきたい。