いがみあってる場合じゃない

また選挙をやるという。
政治家の都合、もっといえば与党の都合だけで全国民を巻き込む
選挙をやるというこの国のシステムはどうかしている。
私の周辺の30代、40代も呆れ顔だ。
私は39歳で団塊ジュニア世代だ。
世代論争が好きな、私と同世代の人たちは、上の世代ばかり優遇され、
既得権益を手放さず、逃げ切ろうとしていて、許せない、
おれたちは虐げられている、おれたちの身分を保証しろ、
もっと分け前をよこせという。
私たちが年配の人たちに比べて、尊重されないのは当たり前だ。
なんたって数が少ないのだから。
民主主義のルールでは数がものをいう。
高齢者のほうがたくさん票をもっているのだからね。
私たちはマイノリティなのだ。
世代論争をする人は、選挙権を得た当時から選挙に行ってたのか。
そのとき行ってなかったのに、今になって苦しくなったからって
声あげたって遅いでしょう。
それに特に団塊世代をボロクソにいう人たちは、
お金のことしか念頭にない。
早く言えば、裕福な団塊世代がうらやましいだけ。
そんなものをうらやむより、自分の価値観の貧困さを呪ったほうがいい。
日本というシステムがクソだというのは、
日本というシステムに対して信頼が厚いことの裏返しなのだ。
期待があるから不満が大きくなる。
厭世観を持っているのに、日本というシステムには期待する。
それは都合がよすぎる。
世の中はろくなもんじゃねえというなら、
社会になど期待しないほうがよい。
高校時代クラスの友人は、わかりにくい数学の先生の授業に
何の不満ももらさなかった。
そのかわり、数学の時間に別の教科の勉強をしていた。
その数学の先生の授業に何も期待していなかったから不満もなかった。
自己責任が嫌ならコミュニティがしっかりしている田舎に住むか、
いま住んでいる地域で自らコミュニティをつくることだ。
「干渉されない都市生活がしたい、でも、困ったときには助けてもらいたい」
そういうのを「いいとこどり」という。虫がいいともいう。
自分が苦しいときだけ「つながり」を持とうとする品性の卑しさを
私は心の底から嫌悪する。
いつもお世話になっている人への感謝を忘れている。
なのに、苦しいときだけ頼ろうとする。
「おれは独りでやってける」と豪語したんではなかったのか。
いまやるべきことは、年寄りと若者が向かい合って誰が得した、誰が損した
などといがみあうことじゃなく、共通の問題に向かって協同で
立ち向かっていくことだ。
少子高齢化とか、財政再建とか、老人や子どもへの虐待の問題とか
環境問題とか、食糧問題とか、そういうのだろう。
誰が損した得したのレベルを乗り越えていかないと、
いつまでたっても視野は広がらない。