少子高齢化について その2

そもそも子どもが少ないし、子どもも自身の生活で手いっぱい。
子どもに迷惑はかけたくない→老人施設に入る→3000万円必要
という思考回路になっているのではないかな。
昔は地域のコミュニティがちゃんとあって、
世話を焼く人がいたから、誰かがなんとなく世話をしていた。
でも、都市住人はそれがないから、施設に頼るしかない。
いまや日本人の7割が都市に住む。
都市住人が好きなプライバシーとか、他人に干渉されない生活を
続けたおかげで、コミュニティがなくなってしまったんだよね。
これを改善するには、地域のコミュニティをつくることだけど、
それには、「他人には迷惑をかけていいんだ」と思うことが必要。
これって、今までの日本人がずっと親や教師に反対のことを
言われて育ってきたから難しいよね。
「他人に迷惑をかけてはいけない」ってね。
でも、他人が迷惑かどうかは、自分は「他人」じゃないからわからない。
「自分がやってほしくないことは人にもしない」のほうがいいと思う。
で、論語にもいうように、「自分がしてほしいことを他人にもする」
をやっていけば、コミュニティはあたたかなものになる。
東北で震災に遭った人が言っていたのが印象に残っている。
「お金とか家とか、津波で流されるようなものは
本当に大切なものではないとわかった」
津波では人とのつながりは残ったというのだ。
今度の3月で東日本大震災から丸3年になるわけだけど、
関東大震災が起こった9月1日と3月11日は防災の日にすべき。
そこで、ひとつ提案がある。
ある高齢の女性がブログに書いていたことなんだけど、
自宅で非常用の食料を備蓄していても、避難所に行ったら、
自分だけそれを食べるなんてできないと。
だったら、避難所に地域でお金を出し合って食料をまとめて
備蓄しておけばいい、そして防災の日にはそれをみんなで
食べればいいと。
それはとてもいいアイデアだと思った。
避難所になる施設に食料を備蓄し、
3月11日と9月1日の防災の日に、そこにみんなで集まって
賞味期限切れになりそうな備蓄食料を食べるのだ。
半年に一度、近所の人が集まるわけだ。
これを「隣人祭り」という。
隣人祭り」はフランスで、孤独死を出した地域の人が
考えたもので、世界中にこのムーブメントは広がっている。
もちろん、防災の日には防災訓練も行う。
三々五々集まって、自由に食べて飲んで騒げばいい。
広い屋内施設がなければ、
そのへんの広場で青空のもとでやってもいい。
そうやってコミュニティがそれぞれしっかりしたものになって
いけば、無用な不安に駆られることもない。
コミュニティがしっかりすれば、防犯対策にもなるし、
市民意識が出てきて、道もきれいになるから地価も上がるだろう。
今の人たちには「地価が上がる」が口説き文句になるだろう。
まずは、私は私の住む地域で、
徐々にそうした活動をやっていきたい。