つくったほうが結局安い

我が家ではよく鉄板料理をする。
鉄板というか、ホットプレートなんだけどね。
その代表が餃子だ。
社長が射殺されてしまった会社の冷凍餃子を買ってきて
焼いて食べた。安いのでたまに買っている。
でっかい餃子だったので、15個入りを3袋買ってきた。
45個を全て焼いたのだが、6,7個余った。
その45個のグラム数を目安に、
今度は自宅で餃子を包んでみた。
焼いて食べたら、半分近く余ってしまった。
妻によると、「今日はちょっと肉を多めにしてみた」
という。さらにこういう。
「うちでつくったのはしっかり肉が入っていたから、
こないだ買った餃子よりたくさん食べられないんだろうね」
グラム数では同じだけつくったし、お腹の具合もそう大差なかった
はずだったのに、自宅でつくった餃子のほうがたくさん余った。
これはどういう意味なのか。
ちなみに味は自分たちでつくったのを考慮しても、
自分ちのやつのほうがうまかった。なのに残った。
これはどういう意味なのだろう。
重さは同じでも中身が違うのだろうね。
安さには理由があるのだね。
結局、翌日も自分ちでつくった、残った餃子を食べた。
2食分もまかなえた。
餃子が格安だから、自分ちでつくるのと
コストは大差なかったが、満足感は大差がついた。
もう一度いうが、安さには理由があるのだ。
買った餃子に食品偽装はないはずだけど、
「高級食材を使っといてこの値段はないよね」
と考えることが必要なのかも。
「ウソはダメ」と言うのと同時に、
「ウソを見破れるようになれ」
とも言わないといけないね。