「基本を教える」ことが大事

個性を伸ばす教育がはやりだしてもう長い。
うちの長女が通う幼稚園でも、「自己肯定感」を持てる子どもに
育てようという教育方針だ。
あるとき、先生が読む絵本をみんなで聞こうという時間が
あったらしい。そこで、ある園児が園庭の砂場で遊んでいた。
先生はそれを許し、「絵本が見たくなったら、おいでね」
といったという。
子どもには段階があって、4歳になるぐらいまでは
それでもいいかもしれないが、5歳ぐらいになったら、
「いまみんなで同じことをする時間だ」と言い聞かせることも
必要だと思う。
4〜5歳になったら、こういうことを頭で理解し、
「なんとなく、そういうもんなんだな」とわかる。
でも、4〜5歳になって「個性が大事だから、好きなことしていい」
とはならないと思う。
絵を描くのも同じ。
2歳ぐらいまでは、赤がどれで、青がどれかはわかるが、
花の色を絵で再現するのは難しい。
だから、リンゴの絵が紫でも構わない。
でも、4歳にもなったら、「リンゴはこの色」「トマトはこの色」
と基本を教えないといけない。
それをわかったうえで、「これはまだ熟してないから緑に描いた」
というのであれば、それが個性だ。
基本がわかったうえで別のことをするか、
わからないで別のことをするかは大きく違う。
これをデーモン小暮閣下は、
「常識はずれと常識やぶりは違う。
常識はずれは常識がわかっていないが、
常識やぶりは常識がわかっている」
と明快に言っている。
基本がわかったうえであえて、自分で考えて別のことを
やってみることが個性だ。
そして、その個性は社会にとってプラスのことだけをいう。
「友だちを口汚くののしるときのボキャブラリーがすごい」
なんていうのは、個性にならない。
「みんなと同じ時間にやるべきことを、
個性が大事だからやらなくていい」
がまかり通ると、ルールを守れない人間が増えて、
社会が不安定化する。
集団生活に適合する人間を育てるのが家庭に役目なんだから、
個性をはきちがえないようにしたいものだ。