閉じたソーシャルメディアが必要

フェイスブックをやりはじめてしばらく経った。
みんなスマホを駆使して、その場で撮った写真をアップしている。
でも、ぼくはガラケー(いわゆる普通の携帯電話)なので、
アップするのが面倒で、写真はほとんど載せない。
友達も少ないものだ。
この「友達」というのは、150人を超えると誰が誰だか
把握できなくなるのだそうだ。
これはアフリカなど未開の部族が150人未満で構成されていることからも
明らかであるという。
フェイスブック(FB)は10億人が登録しており、世界で7人に1人が
使っている。途上国では初めて持つケータイがいきなりスマホという
ことも多いようで、ネットにつながる人が急増している。
FBは実名がベースだから受け入れられたという経緯がある。
より本来の人間関係に使い交流ができるからだ。
つまり「閉じたソーシャルメディア」だから受け入れられた。
これはミクシィやグリーなどと違うところだ。
でも最初は、ミクシィはある意味で閉じたソーシャルだった。
紹介でしか登録できなかったからだ。
最初はそれが価値をもったのに、みんなが登録するようになると、
「紹介」は意味がなくなってきた。
FBも同じで、「10億人」というのは本当かなという気がする。
たぶん、1人で複数のIDを持っている人も多いのではないか。
実名ではそれなりに気をつけた情報を発信をして、
ペンネーム」ではもう少し踏み込んだ発言をする
といったように、使い分けする人もいるだろう。
実際に仕事で「アーティストネーム」を持つ人も多く、
そうした人はFBにアーティストネームを使うだろう。
こうして数が増えていくと、結局、どこの誰だかわからなくなる。
身元がだんだん不確かなものになっていく。
今後は、戸籍や住所など役所情報を登録した人でないと、
使えないソーシャルメディアが出てくるのではないかな。
これなら極めて現実の人間関係に近い。
本来は役所がこういうソーシャルメディアをつくればいい。
そこに自治体情報や県政、市政の議会情報、「市民だより」みたいな
ものを流すようにすればいい。
世の中がオープンになればなるほど、
クローズドな環境に価値が出てくる。
そういう性質が人間社会にはあるのだ。