謙虚

謙虚とか謙遜という言葉はもう死語なのかな。
最近は、お土産を渡す時、「つまらないものですが」という
言い方はしないほうがいいと本に書いてある。
つまらないものを相手にあげるのは失礼という考えだそうだ。
日本にはその他にも粗茶とか、愚妻なんていう言葉があった。
「お口汚し」なんていう、自虐的な表現さえある。
拙宅とか拙著なんていうのはまだ生き残っているが、
粗茶はまだしも、愚妻はアウトだろう。
「つまらないものですが」と言われて、
本当に「そんなつまらないものならくれなければいいのに」と
思う人はいなかった、昔は。
謙遜していってくれているのだなということがわかったからで、
謙虚な心を示す、極めて日本人的な表現だったはずなのだ。
でも、いつのころか、欧米化されてしまい、
自分の妻のことは人前で褒めなければならなくなり、
愚妻なんていおうものなら、周囲の淑女から白眼視される。
自分のことを自慢しないのと同じで、自分のところの嫁さんを
褒めないのが当たり前で、謙った表現だったはずだった。
ところが、個人主義が進んで、「あたしは亭主の持ち物じゃない」
ということになった。
「愚妻」なんて、夫婦、家族の結びつきを表現した
極めて日本人らしい、奥ゆかしい表現だと思うのだが。
ライターという職業は、自分らしい表現が求められるわけだけど、
言葉の変遷については保守的でありたいと思う。
できるだけ手垢のついた、伝統的な言葉を使いたい。
それで文章を成立させるには、
それはそれでテクニックがいるのだけどね。