ある友人のひとりに、
「そんな話、興味ない」「そんなことどうでもいい」
と言って、私をいらつかせる人がいる。
私がくだらないことばかり話すからかもしれないが、
話というのはそういうもので、ほとんど意味はない。
特に居酒屋でなされる話はそのほうが害はない。
私と話をして、何か意味を見出そうとする方が間違っている。
この世の出来事のほとんどは意味なんかない。
生物としては、自分が存命し、子孫を残すこと意外に意味などない。
食べて眠る、生理現象、生殖行動以外の行動はすべて無意味なのだ。
地球は、太陽が燃え尽きて最後に膨張したときに飲みこまれる運命で、
最後はすべて無に帰す。
永遠に名や財、子孫、ましてや愛など残すことはできない。
だとしたら、だからこそ、今を大事にする。
いや、まあそんなに大風呂敷を広げなくてもいい。
社会は意味のあることばかりで成り立ってはいない。
話す内容に意味はなくても、話すこと自体に意味がある。
私たちは効率的に生きるために、少ない時間をできるだけ
意味のあることがらだけで埋めようとしすぎている。
でも、人生はそれだけではないですよね。
他人から見れば意味のないような、
ゲームをやったり、タバコを吸ったり、マンガを読んだり、
パチンコをやったり、ゴルフをしたりすることは、
やった結果、何かが生まれるわけではない。
でも、それをやること自体に意味がある。
だから、たとえ内容はなくても、話をするべきなのだ。
上司や友人、恋人や配偶者とも話をするべきなのだ。
一言、二言でもいい。
話をすることは、その人と関わろうとすること。
関わるために話をするのだ。
意味のない話をすることの大切さは、
私がこのブログを続けた結果、わかったことのひとつである。