以前、南米のある部族を取り上げた番組を見て、
思ったことがあり、たまに思い出して考え込んでしまう。
部族はある時期まで数百人だったが、政府が靴や服を与え、医療行為を
行なうようになってから人口が増え、今では数万人になったという。
彼らは森から生きられるだけの食糧を採って生きている。
人口が増えれば住むところが必要となり、食糧が足りなくなることが
予想される。そうなると、自然が破壊されることも考えられる。
彼らはジャングルという閉鎖された環境で生きてきた。
だから生んだ子を育てるか育てないか、人為的に決めることで、
人口を調節して生きてきた。環境を維持するための調整弁になっていた。
自然環境を維持しなければ自分たちも生きることができず、
部族が生き延びるための知恵だった。
ところが、政府が医療を施したため、この閉鎖系の環境は開放系になった。
彼らは人口の調節弁を失い、そのことで将来的に部族の崩壊を
もたらすことになるかもしれない。
私たちが非人道的であるとみなす、彼らのような部族のふるまいは
実は彼らが持続可能な人口をたもつための知恵であるかもしれない。
別の部族では神に生贄として人命を差し出す掟があるかもしれない。
そういうのを私たちの価値観で否定し、
開放系環境に彼らを引きずり出すことが本当にいいことなのだろうか。
これを拡大解釈すれば、アフリカへの支援にも同じことが
いえるかもしれない。
グローバル経済に参加させることが本当に彼らのためになるのだろうか。
「そんなのは先進国に住む人間の発想だ」といわれれば
そのとおりだとしかいいようがないのだが、それでも整理しきれない。
恵まれない人々への支援は、いままで何の疑いもなくよいことだと
私は考えてきた。しかし、彼らの、私たちから見れば奇異で、
野蛮な行為は彼らの閉鎖系社会を維持する秩序になっていることを
忘れてはいけないと思う。
私たちの価値観と彼らの価値観がどこで折り合うことができるのか。
まだまだ私のなかで答えは出そうにない。