全部わかって何もしない 

雑草のように食べ物を栽培できたら、

世界の食糧事情は解決するのになと思う。

人間の農耕の歴史というのは、同時に雑草との闘いの歴史でもあった。

雑草のほうが生命力が強いから、

養分を吸い取られてしまって作物が育たない。

じゃあ、なんで雑草のほうが生命力が強いのだろう。

それはほったらかしにされているからだ。

彼らのほうが厳しい環境で生きている。

一方、作物のほうは養分を与えられ、競争相手を排除され

(雑草を抜かれ)て生きているから弱い。

子どももそうなっている気がする。

子どもも雑草のように育てるには、厳しい環境に置くしかない。

それはときに危険な場合もある。

それも考慮したうえで、手を出さずに見守っておくことだ。

つまり、雑草のように「何もしない」ことだ。

実際、不耕起栽培という、耕さず、雑草も抜かない農業の方法はある。

気をつけないといけないのは、

全部わかった上で何もしないのと、何もかわらないで何もしないのとは

違うということだ。

全部わかって何もしない、というのは途方もなく難しいのである。