3つのアンパン

ある本のある話を読んでいて思い出した話がひとつ。
その話は後日しますが、今日は思い出したほうを。


プロ野球選手に大杉勝男さんという人がいました。故人です。
岡山県出身で、「月に向かって打て」で知られた大打者です。
私が子供のころ、プロ野球選手の逸話を紹介する番組で、
彼がこんなことを語っていたのでした。


彼は昭和20年生まれ。
父は、彼の弟と妹が生まれたあと、亡くなります。
母は女手一つできょうだい3人を育てていました。
彼が6歳のころのある日、母親が言います。
「かっちゃん、今日はお母さんが生まれた家へ行くわよ」
途中、山をいくつも越えなければいけません。
交通機関は発達しておらず、母は小さな子をおんぶして
歩かなければなりませんでした。
母親は道中にある、見晴らしのいい湖のほとりで
ちょっと休もうといいました。
母親は風呂敷からアンパンを取り出しました。
「あっ、アンパンだ!」
当時、アンパンは高級品で、
貧しい一家にはめったに買えた代物ではありませんでした。
どうしてそんな高級なものを買ったのか――。


残った一つのアンパンは、てっきり母親が食べると思っていたのですが、
「おいしかったかい。ほらこれもお食べ」
母親は自分のアンパンも差し出したのです。
彼は言います。
「おかあちゃんはこれからお前たちをおぶって
歩かなきゃ行けないんだから、これはおかあちゃんにあげような」
うなずく妹と弟。
「ありがとうね、おまえたち・・・」


大杉さんが後になって母親に聞いたところによると、このとき母は
生活苦から逃れようと、4人で湖に入水自殺しようとしたのだという。
アンパンは最後の贅沢だったのです。
しかし、「こんな心のやさしい子どもたちを死なすわけにいかない」と
思い直し、心中を踏みとどまったのでした。


大杉さんはその後、プロ野球選手になりますが、海外遠征のとき
「俺が死んだら誰が母の面倒を見るのか」と飛行機での移動を
拒否したという逸話が残っています。
その裏にはこんな話があったのですね。
自分以外の人を思いやる心。これです。