無知を知る 

過去のブログ記事から。

 

来季の楽天イーグルスへの監督がウワサされている

野村克也阪神監督。

改めてこの人は大変な人物だなと思った。

彼の話が文章になったものを読む機会があった。

彼は解説者の時代、リトルシニアという、中学生の硬式野球

チームの指導をしていたことがあった。

そのときの試合で、ルール上どっちかなというプレーが起きた。

審判の判定が間違っていると思った彼は、審判に質問した。

だが、審判は「間違いありません。自信があります」

といって受けつけなかった。

そこまで言われたので、彼は解説者の仕事の合間に、プロ野球

審判にもこのことの正誤について聞いたという。

結果、やはりそのときの審判の言っていることが正解だったという。

その後で彼はルールブックでも調べている。

これは単なる研究熱心で済まされる話ではない。

マチュアの言うことだからと、調べないでいれば彼は今でも間違いに

気づかなかっただろう。もしかしたら、自分が間違っているかも

しれないと考えることはとても勇気のいることなのだ。

あそこまで選手として実績を極めた人が、自分の間違いを素直に認め、

わからないことは恥をかいても人に聞きに行くのである。

なかなかできることではない。

人間年をとると、恥をかきたくないから、知らないことも知ったように

話し、その場をやりきろうとする。偉くなるともっとそうなる。

彼自身、「野球のプロといっても知らないこと、わからないことが

山ほどある」と言っている。彼にしてそうなのだ。

これは彼が謙虚とか素直とかいうことではなく、

わからないということがわかるほど頭がいいということなのだと思う。

「知らない」と言えない。「間違っていた」と言えない。

そういう人は結局その程度の人にしかなれないということなのだろうか。

「無知を認め、間違いを認め、知ろうとしたり、間違いを正すことで

人は成長する」と彼は語っている。

どんなに年をとっても「おれは全部わかっている」と

思ったら終わり。

野村氏の今後の動向に注目しておこうと思う。

(2005-08-16)