「死」を歌う人

いまぼくがお気に入りの女性シンガーソングライターがふたりいる。
ひとりがアンジェラ・アキで、もうひとりが鬼束ちひろ
アンジェラ・アキの「music」は自分の結婚式でも使わせてもらった。
鬼束ちひろはデビュー以来聴いている。
歌詞の強烈な自己肯定が心地よかった。
で、今回アンジェラ・アキの「TODAY」と、
鬼束ちひろの「LAS VEGAS」という2枚のアルバムを借りてきた。
並べて聞くと、アンジェラ・アキのほうが、圧倒的に声量があって
パワフルな印象である。加えて躍動感がある。
鬼束ちひろのほうは、どうも声が頼りない感じ。
というのも、彼女は2年半以上も休業していたのだ。
休業前からどこか危なっかしい雰囲気があり、
それが彼女の魅力でもあった。
休業すると、彼女のことはすっかり忘れていた。
精神の病だったとのウワサもある。
だが、2年7か月ぶりに復活、シングル「everyhome」を発表する。
そのニュースを聞いて、休業する前の最後の
シングルである「育つ雑草」を聴いてみた。
なんといっても「私はいま死んでいる」という歌詞が印象的である。
ケンシロウでもあるまいに、そんなことを歌っていいのかと思った。
で、今回のニューアルバムの中の「angelina」という曲では、
なんと「私はまだ死んではいない」と歌っているのである。
休業前に「私はいま死んでいる」といい、
復活後に「私はまだ死んでいない」といっているのである。
「死」を扱うのはいまの音楽シーンではどうなんだろう。
昔はいっぱいあったけど、いま「生きる」という歌詞は頻発されても、
「死」という歌詞はあまりお目にかからない。
精神の病が本当ならば、それだけ彼女の闇は死と隣り合わせだった
ということなのだろうか。
最近、精神の病で苦しんでいる人の話をよく耳にする。
若い女性のケースが多い。そういうときには必ず自殺の話が出てくる。
鬼束ちひろも死を考えたことがあるのだろうか。
彼女の危なっかしさはたぶんそこから来ている。
鬼束ちひろは大丈夫か?」とみんながそう思っていたところ、
angelina」では続けてこう歌っている。


この空白は私だけのもの
孤独も弱音も全て
私が愛さなくて誰が愛する?
私が愛さなければ誰がそれを愛するの?


精神の病でできた「空白」は自分だけのものであり、
それも全部引き受けて生きていくという決意を込めたような歌詞だ。
ちょっとよわよわしいようにも聞こえる彼女の歌声に
強烈な自己肯定を垣間見た気がする。
ミリオンセラーにならなくても、同じような境遇にある人、あった人への
メッセージという意味でもこの曲は価値がある。
夢や希望や愛という言葉が大量生産、大量消費される今の世の中で、
自分の実感から来る生々しい死生観を語るのは勇気のいることだ。
空白を乗り越え時がたてば、
それがあったからこそ今があると思えるようになる。
そればかりか、その空白に感謝さえするようになる。
この歌は彼女が精神の病を乗り越えた証のようなものなのだ。
彼女にはこれからも「死」を歌ってほしいし、
それとは裏表の「生」も歌ってもらいたい。