軌跡〜kiseki〜奇跡

本日をもってブログが丸2年となりました!
この730日間、毎日、更新を欠かしませんでした
なんていうことはまったくなく、1か月も滞ったことがありましたし、
ともかくカレンダーを埋めることをモチベーションに
書き散らしてきたのでした。
何か記念に書こうと思ってつらつら考えていると、
以前、ブログではなく、ホームページをやっていたころの記事に、
ブログでも何度も引用しているロバート・フルガム氏の
一説を引用したことがあったのを思い出した。
彼はこう言います。
「この生をまっとうし、なおかつそれをありのままに見据えようと
すれば、ひとつの問題がある。人間の生には、苦しみや死のほかに、
この地球が滅びゆく太陽に吸収されるときの究極の無の瞬間も含め、
暗く、不吉で、絶望的な側面がある。この側面から見れば、ほんとう
に意味のあるものはなにもない」
フルガム氏がいう「この地球が滅びゆく太陽に吸収されるとき」と
いうのは、今まで太陽の末路としてよく知られた説だった。
太陽がその生命を終えるとき、木星までを飲み込む大きさまでに
膨張し、最後はまた一つの天体になる。
そのとき、ブラックホールになるのかどうか――。
これが天体マニアたちの論争の的なのだ。
木星まで飲み込まれるので、当然、地球も飲み込まれる。
そうとなれば、人生観が変わってくる。
永遠などない。
どれだけ名を残し、子孫を残しても、最後にそれは無に帰すのです。
永遠などないという観点で人生を見据えたほうが
積極的な生き方ができるのではないか――。
というのが、それまでの考えだったのです。
で、ここからは最近聞いた話です。
実は、地球が太陽に吸収されるのとはまた別のシナリオが
あるのではないかと言われているらしいのです。
未来永劫、地球が存続するかもしれないというのです。
とはいえ、地球が太陽に吸収されるという話も何百億とか、
何千億とか、決して人間が実感できないような
宇宙時間の未来の話ですから、もはや「永遠の愛」などと言って
みてもいいのかもしれません。
まあ、地球が太陽に吸収されなくても、太陽の燃焼が終われば、
人類はおろかすべてといっていい生物が死滅すると思うんですがね。
どれにせよ、いつか必ず終わりはやってくるというのに、
なんで人はルールを守り、毎日働き、子孫を残そうとするのでしょうね。
最後は無に帰すという絶望的な状況を、フルガム氏はこう言う。
「一方、わたしたち人類がもっている最高の側面は、断固としていま
ある生をできるだけ有意義なものにしようとする姿勢に見出せる。
運命に挑むのだ。こうなると、意味のないものはひとつもない。
すべてのものが意味をもってくるのだ」
自分が死んだあとのことなど知ったこっちゃないのに、
自暴自棄に生きようとしないのは、生き続けることが困難な時代、
それはもう小さな生命体だったころからの記憶があるから
なのかもしれない。
でも、実はいつだって生き続けること自体が困難なんですよね。
ただ命をつなぐだけでも、それはそれは大変な事業です。
奇跡といってもいいかもしれません。
だからこそ、「意味のないものなどひとつもない」のでしょう。
そう考えれば、あしたもブログを更新しようと思えるのです。