新説『桃太郎』

ここに載せる長い文章は、私が数年前にあるきっかけによって
触発されて考えた話だ。
まんが日本昔ばなし』が再放送されるにあたって、思い出したのと、
話の中の小ネタが古くなってきたせいで、ここに載せようと思い至った。
めちゃくちゃ長いので、自己責任で読んでください。

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新説『桃太郎』

私は上京して大学に入学するまでの19年間を、岡山で過ごしてきた。それまで岡山以外の土地に住んだことはなかった。私は生粋の岡山人であるのだ。今でも、岡山人としての気概は忘れていないつもりであり、いつも岡山のことを気にかけている。
アメリカ大リーグのロサンゼルスドジャースの元監督であるトミー・ラソーダ氏は、チームカラーのブルーについて、「私の体内にはドジャーブルーの血が流れている」と言ってチームへの愛着を言い表したが、私の体内には〝ピーチピンクの血〟が流れているのだ。
そんな岡山の観光資源といえば、桃太郎とマスカットがすぐに思い浮かぶ。「マスカットスタジアム」は、愛媛の「ぼっちゃんスタジアム」とおもしろネーミングの両輪を担っていることでもよく知られている。
また、桃太郎のきび団子とコラボレーションである、「マスカットきび団子」なるものも開発されているがあまり知られていない。
このほど新装なった市内の通称〝総合グラウンド〟の中にある陸上競技場は、「桃太郎スタジアム」である。収容人数2万人の立派なスタジアムだが、名前を公募したというのだからちょっと失笑してしまう。「桃太郎スタジアム」ではあまり公募した意味がないような気がするのだが…。
その他、桃太郎温泉、桃太郎カントリークラブなどと、岡山は今でも桃太郎の話題で持ちきりなのである。

そんな桃太郎なのだが、私がどうしても引っかかるのは、「桃太郎」が数百年の時を超え、現代まで語り継がれてきたのはなぜなのか、ということだ。
強きをくじき、弱きを助けるという分かりやすい勧善懲悪の図式の中で、いかにもヒーロー然として、桃太郎言うところの伏魔殿である鬼ヶ島に乗り込み、悪の枢軸とする鬼たちをこらしめてくるという、それだけの話であるのにだ。
はじめに断わっておくが、私は桃太郎の話があまり好きではない。したがって、桃太郎自体もあまり好きではない。よって、彼の行為について一つひとつ検証し、桃太郎のヒーローとしての化けの皮をひっぺがし、彼の所業を白日の下にさらすことにする。

最初に「桃太郎」の起源となるお話を記しておこう。
岡山県吉備津神社という神社がある。岡山駅から吉備線に乗り、三つめの吉備津駅で降り、数分歩いた場所にある。昔の地名でいうと備中で、羽柴秀吉本能寺の変のときに水攻めにした清水宗治の居城、備中高松城跡に近い。
この神社に祀られている大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)は、日本書紀古事記にも登場して伝承されている人物だが、誰あろうこの大吉備津彦命こそが後の桃太郎である。いや、この人物がモデルとなって桃太郎が生まれたと考えられている。
人物だけではなく、「桃太郎」のお話自体にもモデルとなるお話があった。それが「温羅(うら)退治」である。
百済(現在の大韓民国)の王子ともされる温羅と大吉備津彦命の死闘は、多くの遺蹟で物語となって残っている。
戦いが始まると、両者の矢は必ず途中で絡み合い、落下する。そこで大吉備津彦命が二本の矢を放つと、一本は絡まり落ち、一本は温羅の左眼を貫いた。
温羅は、たまらずキジになって逃げ、大吉備津彦命は鷹となって追う。追いつかれた温羅は、鯉となって川に逃げた。すると、祭神は鵜となって、その鯉を捕まえた。捕らえられた温羅は首をハネられ、さらし首にされたという。
大昔、そこには吉備国という国ができており、温羅の存在は脅威であったようだ。外敵を排除するため戦ったのが「温羅退治」であった。それが「桃太郎」では鬼退治へと話が変わっていったのである。

昔ばなしではよく鬼が登場するが、そもそもなぜ彼らは角が生え、虎の模様のパンツをはいているのだろうか。陰陽道では鬼門というものがあるが、この鬼門は丑寅の方角であるから「丑の角」と「虎の模様」だということであるらしい。陰陽道では十二支が方角にあてられているが、鬼門はなぜか北東の方角である。
鬼門とは反対側に申、酉、戌という方角がある。12方位でいくと、西西南、西、西西北という方角である。これが「桃太郎」に登場する申=猿、酉=キジ、戌=犬という具合になっているわけである。
裏鬼門とは真逆の方角が未申で、南南西、西西南を指す。これを裏鬼門という。未申なのであるが、未=羊は『桃太郎』には登場しない。羊を鬼と戦わせるのは無理があるということなのだろうか。それを考えたら、雉(キジ)も少々無理があるような気がするのだが。
陰陽道には時間の概念もある。幽霊が出やすい時間とされる丑三つ時は午前2時から4時までを指す。実際この時間は人体にとっても変調をきたしやすい時間という説があり、いわゆる「今夜が峠だ」というときの峠はこの時間帯を指しているものと思われる。
先を急ごう。
桃太郎のお供をした猿、犬、キジは、陰陽道にいう裏鬼門の方角に当たるわけだが(羊の件はまたの機会に考察する)、桃太郎の桃自体にも魔よけの意味があるという。桃が魔よけになるというのは中国の故事によるらしいが、その故事によると鬼門の方向に桃の木を植えると魔よけになっていいのだそうだ。そういえば日本にも「桃の節句」という行事がある。桃源郷は中国の理想郷の名前だが、「桃」の字が使われていることからもこのことがわかる。

魔よけの桃と、縁起の悪い鬼門である鬼。これで役者は揃った。勧善懲悪の図式ができあがったのだ。
さて、誰もが知っている物語の冒頭部分だ。
おじいさんは山へ柴刈りに行き、おばあさんは川へ洗濯に行く。
おじいさんは芝刈りに行くのではない。芝の生えている庭を持つ豪邸に住んでいるわけではなく、「柴」なのだ。柴は枯れた小枝を指す。
一方、おばあさんは川へ洗濯に行く。命の洗濯をしに行ったのではない。おばあさんは癒されるために川へ行ったのではなく、洗濯という実務を遂行するために行ったのだ。
おばあさんが川で洗濯をしていると、川の上流から「ドンブラコ、ドンブラコ」と大きな桃が流れてくる。岡山県は桃の産地であるということもよく知られていることだ。しかし、よく考えてみるとこの「ドンブラコ」という擬態語は桃太郎の物語でしか聞いたことがない。
閑話休題
おばあさんは川から大きな桃を拾い上げるという難事業にまんまと成功し、その桃を家に持ち帰る。
柴刈りに出掛けていたおじいさんはたいした活躍もなく、すごすごと帰ってくる。竹の中から女の子をみつけた別件の老人を見習ってほしいものだ。
家に帰ってきた二人は、その桃を真っ二つに割る。
そこでようやく桃太郎の誕生となる。
桃から生まれたため、桃太郎と命名される。ここまでは何もおかしいところはない。桃を切ったら男の子が出てきたなんてことはよくあることだ。

たくましく成長した桃太郎はある日、おじいさんとおばあさんに「鬼退治」に出かけたいと申し出る。鬼ヶ島に行き、鬼を退治するというのだ。
ここで一つの問題が浮上する。
「退治」というのは、悪いものをこらしめるというニュアンスで使われることが多い。しかし、鬼がどのような悪事をはたらいてきたのか、ということが判然としないのである。
『桃太郎・舌きり雀・花さか爺』(関敬吾著 岩波書店)を読んでも鬼の悪事については一行も触れられていない。「鬼は悪事をはたらくものだ」というイメージだけで、桃太郎は鬼をこらしめようとしているのである。単なる腕試しという要素もあったのかもしれないが、桃太郎本人に聞いたことがないのでわからない。
仏教に因果応報という言葉がある。ざっくばらんにいうと、良いことをすれば回りまわって自分の身にも良いことが起きるし、悪いことをすれば自分の身にも悪いことが起こるという思想だ。この考えでいくと、鬼の立場からすれば、理由もなく退治されるのは納得がいかない。悪さをしたわけでもないのに、報いを受けるのだ。
「鬼は悪いやつ」という共通認識のもとに話を強引に進めてしまっている。「あいつらは悪いことをしているに違いない、だからこらしめるべきだ」というわけである。つまり、「大量破壊兵器をもっているに違いない」という大義名分を振りかざして、侵略戦争に打ってでようということなのだ。証拠などどうでもいいのだ。
桃太郎の性悪はここから徐々に出てくるのである。
あまり知られていないが、このときおじいさんとおばあさんは桃太郎に「危ないけん、鬼ヶ島に行くのはやめときんさい」といった意味のセリフを、岡山弁で吐いたと言われている。
鬼ヶ島征伐は当然、危険が伴う。桃太郎は悪の巣窟に単身乗り込もうというのだ。育ての親としてはできれば行かせたくない。
ところが、桃太郎はなぜか「うまくやってみせる自信があるんじゃけえ、よかろう」という意味のセリフを岡山弁だったかはどうかはわからないが吐き、2人の制止を振り切って鬼ヶ島に向かう。
桃太郎はそれまで何らかの功績をあげたわけでもなく、武術を習っていたわけでもないのだが、こう語るのである。この桃太郎の自信はどこからのくるのだろう。私には傲慢な自信家にしか思えない。
おばあさんはしかたなく黍(きび)団子をつくって桃太郎に持たせる。黍はイネ科の一年草で食用に用いられる見た目は稲に似ている植物だ。米、麦、粟、豆と並んで五穀(黍ではなく、稗という説もある)といわれている。
ここで面白いのは黍団子のきびと吉備津彦命の吉備(きび)がかかっていることだ。黍団子は、本当は「吉備団子」なのではないかという説もあるとか、ないとか聞いている。

本題に戻ろう。
桃太郎は旅の道すがら、後に家来となる動物たちと出会う。犬、猿、キジといった面々だ。一説によると、これらの動物は、生きていくために必要な要素である「智、仁、勇、富、健康」を示しているといわれている。健康=桃太郎、富=黍団子、智=猿、仁=猿、勇=キジというわけである。余談だが、私が卒業した小学校の校訓が「智・仁・勇」であった。
この犬、猿、キジといった動物たちをどのように解釈するかは、前に書いたように、陰陽道による考え方でよいのかわからないが、とにかく桃太郎は黍団子を、文字通りエサにして彼らを家来にすることに成功する。たいした交渉もなく、二言三言の言葉を交わしただけで契約が成立したわけである。黍団子一個で決死の作戦に同行させようというのだから、桃太郎はかなりのネゴシエーター(交渉人)であるといってよい。
桃太郎の一団は舟で鬼ヶ島に渡る。背中には「日本一」のノボリを背負っている。年端もいかぬ少年が、なぜか自ら日本一と名乗っている。この点は彼の自信家ぶりの証左となるだろう。私にはこの桃太郎の自信過剰ぶりがいかにも鼻持ちならないのである。
先に述べた吉備津彦命の伝説は古事記日本書紀で語られているわけだが、これらは8世紀に入って編纂されている。そのころには「日本」という概念はすでにあるが、枠組みとしての「日本」が庶民にまで浸透しているとは考えにくい。
もし仮に桃太郎の物語が江戸時代に成立したものだとしても、交通手段の発達していない当時ではおじいさんやおばあさん、桃太郎にとっても自分が住む集落とその周辺が世界のすべてであり、日本という枠組みを年端のいかぬ子どもが意識できるはずがないのだ。

本論に戻ろう。
鬼ヶ島についた桃太郎はさっそく鬼たちの征伐に打って出る。鬼たちが宴会を開いているところを襲うのである。桶狭間での織田信長も真っ青の奇襲作戦だ。見事である。
このことをアメリカ人が知ったら、「日本人の奇襲はパールハーバーのときだけではなかった!」と言うだろう。
ここでも問題なのが、犬、猿、キジの活躍は書かれているのだが、桃太郎自信の活躍は記述されていないという点だ。犬は噛み付き、猿はひっかき、キジはくちばしでつつくのだそうだ。ところが、桃太郎は指示を出しているだけなのか、何をしたとも伝えられていない。刀は持っているらしいが、その刀で鬼の首を切り落としたなどという話はどこにもない。
なぜ刀をもっているのに桃太郎は戦わないのか。失礼ながら、「お前の腰に差している刀は、修学旅行生がお土産屋さんで買う木刀か」と申し上げたい。
桃太郎は自称「日本一」なのに、家来に戦わせ、自分は高みの見物を決め込んでいるのである。言うことはでかいが実行が伴わない、組織のリーダーとしては最も嫌悪されるタイプだ。

さて、ここで童謡『桃太郎』を紹介しよう。
1番;桃太郎さん桃太郎さん、お腰につけた黍団子、一つわたしにくださいな
2番;やりましょうやりましよう、これから鬼の征伐に、ついて行くならやりましょう
3番;行きましょう行きましょう、あなたについて何処までも、家来になって行きましょう
4番;そりゃ進めそりゃ進め、一度に攻めて攻めやぶり、つぶしてしまえ鬼が島
5番;おもしろいおもしろい、のこらず鬼を攻めふせて、分捕物をえんやらや
6番;万々万々歳、お伴の犬や猿雉は、勇んで車をえんやらや
(作曲:岡野貞一、作詞:不詳)

この童謡は、明治44年に尋常小学校唱歌として登場している。後半は軍国主義の影響を受けており、「忠実な家来とともに敵をやっつける」という歌になっている。
百歩譲って4番までは許すとしても、許せないのは5番で自分たちがしたことをおもしろがっている点である。
鬼が何か悪いことをしたわけでもないのに、「彼らは大量破壊兵器をつくっている」と桃太郎当局は勝手に決めつけ、鬼をやっつけだすと案外あっさりやっつけることができちゃった(鬼は宴会で酒をしこたま飲んでいた)ので、途中から面白くなってきているわけである。桃太郎は残虐な性向を持ち合わせていると言わざるをえない。

こうして桃太郎一団は鬼から分捕った金銀財宝を喜び勇んで家に持ち帰り、おじいさんとおばあさんと〝裕福な〟生活をして、幸せに暮らしたという。これで物語はおしまいである。
ここでまた問題がある。
桃太郎一団は、「なぜだかわからないが鬼ヶ島に行き、グウの音も出ないほどの制裁を鬼に与え、金銀財宝を没収した」のである。
これを悪意に満ちた言い方にするなら、「桃太郎たちは、鬼に因縁をつけ、奇襲で半殺しにしておき、さらに金品を略奪した」とすることもできる。
さらに気になるのは、略奪した金品を自分の懐に収めている点である。もし仮に鬼たちが周囲の村人たちから金品を奪ったのであれば、鬼たちから金品を「奪い返した」という表現になるはずだし、奪い返した金品は村人たちに返還するべきである。
もしも鬼たちがした悪いこととは、村人たちから金品を奪うことではなく、乱暴に振る舞うといったようなことであった場合、桃太郎たちは鬼の所有する財産を奪うのは明らかに越権行為である。明らかに行き過ぎである。なぜなら鬼は半殺しの目に遭わせられたことで、すでに社会的制裁を受けているからである。半殺しの目に遭い、しかも金品を根こそぎ取られてしまったのでは鬼などやってられない。私には鬼が不憫でならない。桃太郎よ、それはあんまりではないのか?
さらにひどいのが、自分が高みの見物を決め込んでいるうちに戦ってくれた、犬、猿、キジにはその後の論功行賞がまったく行われていないということである。なんの褒美もない。最初の黍団子一個なのである。
桃太郎は命をかけて戦った彼らに何かのご褒美を与えるべきだった。成功報酬が少ないといって200億円払えという高裁判決が出たら、桃太郎はどうするのであろうか。

以上、桃太郎の所業について検証してきた。
その上で私が出した結論はこうだ。
「桃太郎は、大義名分をひっさげて世論を動かし、自分は直接手を下さず金品を強奪し、私腹を肥やした。自信過剰で自己中心的、傲慢かつ不遜な人格であることが露呈された。『桃太郎』は勧善懲悪のヒーロー伝などではない。人間の醜い側面を冷淡に描いた、ヒューマンドキュメントだったのである」

昔話や童話は子どもに話して聞かせるものだから、教育的配慮がなされていることがある。「教訓」というやつだ。
昔話や童話は、後にそうした教育的配慮を加味されたものが多いため、分かりやすい物語になっている。後の人々が教育的配慮をし、物語を生ぬるい茶番劇にしてしまった物語もある。残念なことだ。
桃太郎にも、川から流れてきたのは実はただの桃で、食べた老夫婦が元気になったために子どもが生まれたという説がある。昔の平均寿命は今よりそうとう短いから当時のおじいさん、おばあさんは40代前半ぐらいを指すのかもしれない。この説は教育的配慮がなされ、改変されて桃の中から赤ん坊が生まれたことになったというのだ。高齢出産で元気な子どもが生まれたという大変喜ばしい話なのに、なぜ教育的配慮がなされなければならなかったのか不思議だ。
また、犬や猿、キジは桃太郎の属性を示しているとも考えられている。桃太郎が直接手を下して鬼を退治すると、桃太郎は乱暴で残酷であるイメージを与えてしまう。「やはりヒーローは心優しくなければならない」ということから、桃太郎は傍観者になっているのである。
大吉備津彦命の伝説から派生した「桃太郎」は陰陽道と結びつき、犬、猿、キジの家来を得て、クールでカッコいいヒーロー物語となったのだ。

民話や寓話は講談など主に口述で伝承されたため、しばしばこのようなことが起こる。しかし、原典を紐解いてみれば、一度読んだだけでは、一体何がいいたいのかよくわからないものや、今の道徳に照らしてみても納得のいかない話も多い。
正義が悪に簡単に負けることもあるし、正直者が最後に勝つとも限らない。意地悪で残酷な者が幸せになったり、主人公があっけなく命を落としてしまうことさえある。残酷なことや理不尽なことが起こりまくるものなのである。
そもそも昔話や童話は、子どもに「正義が必ず勝つ」とか「正直者は必ず最後に救われる」といった教訓を与えるためだけにつくられたお話ではない。日本の昔話も海外の童話ももともと残酷で、怖くて、理不尽な物語がたくさんあるのである。では、昔話や童話は何を示唆しているのだろう。
それは「現実」であると思うのだ。
私たちが住む世界は理にかなったことばかりが起こるわけではない。どうしてこんなことが……と思うようなことが実際に起こりうる。親が子を殺してしまったり、反対に子が親を殺してしまったり、長年連れ添った夫を妻が殺してしまったりということが現実に起こっている。
現代のように、すべてにおいて快適に整備された(かのように見える)世の中に長くいると、ついその現実を忘れそうになる。私たちは何かが起こったとき、その現実にいきなり直面させられ、愕然とし、その場に立ち尽くす。
人知の及ばないところで、割り切れない出来事が起こりうるということを気づかせてくれるのが、昔話や童話なのではないだろうか。
かぐや姫は求婚者たちに無理難題をふっかけるワガママな女だし(あれはおじいさんが要求したのだっけ)、浦島太郎は亀を助けてあげたのに、最後にはおじいさんになってしまう。はっきりいって理不尽なお話である。だが、だからこそ人の心に残り、昔の人々はこれらの物語を長く語り継いできた。「現実」を知る必要があったからだ。

私たちが『桃太郎』のお話を通して学ぶべき教訓とはいったい何だろうか。
親孝行するのはよいことだ、男の子は強くあるべきだということであろうか。私はそうは思わない。
現代では教育的配慮といいながら、残酷な場面や理不尽な場面をカットし、表面的にきれいなお話にすることがある。もちろん、正義や正直者であることの大切さや、夢が叶うことの重要さを知るための物語があっていていい。
しかし、その一方で、人間には自己中心的で、やっかいで、不誠実で、善と悪が混在した複雑な一面があることも、子どもたちは知っておかなければならない。お話の中で語り継いでいかなければならない。
そのように考えると、なぜ『桃太郎』が現代にいたるまで語り継がれてきたのかわかるような気がするのである。強欲で、自信過剰で、自己中心的な桃太郎は、人間の一側面を端的に現している。

「桃太郎」は一見、勧善懲悪のきれいなストーリーであるため、教育的配慮が行き届かなかったのではないだろうか。しかし、よく読めば、人間の不条理を描いた話であることは改めて述べるまでもない。
もし桃太郎のストーリーが、「村人たちをイジメ抜いていた悪い鬼たちをこらしめ、鬼たちから回収した金品を村人たちに返還し、家来たちを厚遇した」という話だったら、現代まで語り継がれただろうかと思うのである。これでは桃太郎は出来すぎた人物であり、そこらの「いい人」となんら変わりない。
繰り返すが、「桃太郎」のお話は、人間の、ある意味で、自己中心的で傲慢なひとつの側面を表しており、人類に共通する無意識の底にある魂の根幹に触れる物語であったのだ。桃太郎も私たちと同じ、不完全な、出来そこないの一人の人間だった。
「桃太郎」のお話を聞いた子どもたちも、この物語の中にどこか割り切れないものを感じ、やがて大人になるのである。
語り継がれる話にはやはり何かがあるものだ。私たちはときにこうした物語に触れることで、現実を再認識し、「そんなこともあるのだ」という新たな認識の上に立つ。そうすることで人間はやっと、やりきれない不条理や理不尽を受け入れ、日常を穏やかに過ごすことができるのではないだろうか。