贅沢な果実

晩秋も深みを極めて、風の冷たい今日このごろ、
宇都宮に住む知り合いのカメラマンさんから会社に林檎が届いた。
今年は夏に梨を食べ、夏が終わるころに実家から送ってもらった桃を
食べ、秋になったら栗拾いに行き、みかん、柿をもらって食べ、
今度は林檎をもらったわけだった。
今ではこれらの果物を1年中食べられるようになったわけだけど、
やっぱりその季節になってからのほうがおいしく感じられる。
たぶんそれは、気候もそうだが、自分たちの体が「そういう状態」に
なっていることも大きく関係していると思う。
よくワインを取り上げて、「いついつに、どこどこでつくられたブドウを
使って、いついつにつくって、いついつまで寝かせておいたワイン」
が最もうまいと言う。
だが、そういう人たちは、自分が変化するということを忘れている。
今日、おいしいと思ったものが、明日、おいしいと思えるとは限らない。
ワインが日々変化する(んですよね? ぼく、知らないけれど)ように
自分も日々変化する。
だから、うまいというのは個人の感覚によるしかないわけだ。
もちろん、ワインを云々する人はそのへんはおりこみ済みだろうが。
で、何が言いたいかというと、季節の果実を食べるということは、
その季節の果物自体がおいしいということと、
環境によって自分自身が、おいしいと思えるように変化している
ことも示しているということだ。
だから、もっとも贅沢な果実の食べ方は、「その土地で育ったその土地の
果実を、その土地に住む人が、最も適した時期に食べる」
ことなのではないかと思う。ついつい、いつでも好きなときに
好きなものが食べられるのが贅沢だと思っているが、
そうではないんじゃないか。
自分が日々変化するということは、自分と他人の味覚が同じではない
ということも示している。当然、個人の好みの違いもある。
結局、結論としては、できるだけ季節のものを食べるということだ。
それがその地域でつくられたものならなおさらよい。
さらに生産者のことがわかっていることも重要だ。
今回の林檎はカメラマンさんの実家でつくられたものらしい。
誰がつくったものかがわかることも味に反映される。
そういうことを全部ひっくるめて「おいしい」なのだろう。
うまかったなあ、林檎。