サッカーのワールドカップでドイツ選手が、自分たちが人権の
ことについて主張するのが認められなかったとして、
集合写真のとき、口をふさいだ。
日本のサポーターがスタジアムをゴミ拾いをすると、
「身分制度のある社会では、清掃員の仕事を奪ってしまう」
という指摘があった。
こういうことが起こるたび思うのは、
人のやることに完璧はないから、いいと思ったことをやって
何か反発があったら、
「自分たちはこうだけど、あなたはどうですか?」といって
コミュニケーションを取ったほうがいいということ。
自分たちがいいと思ってやっていることは、
別の文化の人たちからすると正反対の意味をもつことがある。
自分たちとは違うからといってそれを「遅れている」といって、
優劣と結びつけるから差別が起きる。
単なる違いとして「受け取り」、
自分たちがそれを「受け入れる」かどうかは議論すればいい。
違いとして受け取ることはできても受け入れられないのであれば、
その理由をちゃんと述べること。
ドイツ選手も日本のサポーターもよかれと思ってやったのだからOK。
もし反発されたら、そこから対話をするともっといい。
そしたらお互いもっと理解できて、みんなが生きやすくなるはずだ。