「個性を伸ばせ」の意味

バンクーバー五輪における日本代表選手の「腰パン騒動」から、
例の元横綱のことなどいろいろ考えた。
横綱はあまりに土俵外で「個性」を発揮することが多すぎた。
「個性」は土俵上とその周辺だけで発揮するべきだった。
そもそも「個性」とはプラス要素だけを言い、
乱れた服装、言葉遣いなどは個性とは言わない。
最近は一芸に秀でていればいいとして、他の面が行き届かないことの
都合のよい理由にしているような節があるように思う。
「個性を伸ばせ(他の面はともかく)」というのがそれだ。
その「個性」が乱れた服装や言葉遣いでないことは明らかだ。
「個性を伸ばす」という美名のもとに、
勉学をおろそかにするなどもってのほかである。
こういう話はなかなか受け入れられない。
「この子にはこれしかない。打ち込めるものがあるだけよい」
という人が多いのだ。
好むと好まざるにかかわらず、勉強はやっておかねばならない。
大人は社会人になってからやっとそのことに気づけることが多く
(私もそのひとり)、だから大人は子どもに勉強せよという。
しかし、得意なものが見つかると、それに打ち込ませ、勉強が
おろそかになってもいいように錯覚している。
「勉強が得意な子もいれば、スポーツが得意な子もいる」
それはそのとおり。
ただ、スポーツが苦手な子に無理にやらせる必要はないが、
勉強は苦手な子でも無理にやらせる必要がある。
勉強はスポーツや芸術と同列に語ってはいけない。
誰にも必要な教育であり、人間形成のベースだからだ。
スポーツができない人が社会に出ても問題はないが、
勉強がおろそかなままの人間が社会に出ると、
社会の安全・安心が維持できないからである。


前にも書いた映画「コーチ・カーター」を思い出す。
元全米代表のバスケット選手だったカーターさんが、
母校のリッチモンド高校で弱小チームの監督になる。
カーターは選手に最初に契約を結ばせる。
1.勉学の成績で及第点を取る
2.授業にはすべて出席し、一番前の席に座る
3.試合の移動にはジャケットとタイを着用する
これらの契約が守れなかったらバスケはやらせないというのだ。
チームはカーターの指導のもと、快進撃を続ける。
しかし、大事な試合の前に授業をさぼり、成績を維持できていない
選手が出てきたため、全員が契約どおりの成績が取れるまで
体育館を閉鎖し、図書館で勉強させるという決断を、カーターは下す。
しかし、これには父兄や地元マスコミ、学校関係者さえもが大反対。
「バスケのおかげで不良にならずにすんでいる」
「やつらの唯一の得意なものを奪うな」
といってカーターのやり方を批判する。
それでもカーターは決断を覆さない。
黒人が多いこの街では高校を卒業してもろくな職業につけず、
犯罪に手を染める卒業生が多いことに心を痛めていたのだ。
カーターは評議会にかけられ、コーチを解任される。
「私のやり方は間違っていたのか・・・」と思いながら、
自分の荷物をまとめるために体育館に立ち寄ると、
ドアにかけられていた鎖が解かれていた。
中に入ってみると、そこには体育館の床に机を並べて勉強する
選手たちの姿があった。
カーターこそが本当の意味で自分たちのことを考えていたことを
選手たちは理解したのだ。
本当の意味で「子どものことを考える」とはどういうことなのか、
この映画にはそのことがよく描かれている。
プロバスケット選手になるわけではない。勉強して大学にいけば、
バスケットも続けられるし、思ってもみない職業につけるよ」
そういう未来への可能性を、カーターは示したかったのだった。
映画のエンドロールで選手たちの進路が明かされる。
多くは大学に進学している。
そう、この映画は実話をもとにしているのだ。


プロスポーツやプロの芸術家になれるのはほんの一握りでしかない。
多くの人は一生懸命打ち込んでも最終的には別の道をいくしかない。
そのとき、何も勉強してこなかったらどうするのか?
いまが輝いていればそれでいい――本当だろうか?
やりたいことがないよりはマシ――それはそうかもしれないが、
だからといって勉強しないでいい理由にはならない。
コーチ・カーターは別に好成績を取れといっているのではない。
最低限の及第点を取りなさいといっている。
時間をかければ誰でもできるレベルを要求する。
つまり才能ではなく、やる気の問題なのだ。
面倒なことから逃げる精神をたたき直したかったに違いない。
カーターは選手たちに生きていく厳しさを教えた。
バスケットのコーチでありながら、
この映画に出てくる誰よりも教育者であった。
教育とはこのようでありたいと強く思う。


そうなのだ、やはり勉強することが大事。
スポーツや芸術には打ち込めばいい。でも同じくらい勉強もがんばること。
同じように、「結果を出せばなんでもいい」ではなく、
ちゃんとした生活をすることも大切なこと。
礼節をわきまえ、みんなのお手本になることが大事。
個性は競技で発揮してほしい。
私たちが先駆者に望むのはそういう姿です。