お金ではなく交流 

昨日、「死んだ人が現世に影響を与える考え方は受け入れられない」

と書いた。

なぜこう考えるかというと、

「死んだ人が現世に影響を与えられる」を認めると、

カルト集団につけいるスキを与えることになるからだ。

彼らは成仏していない人が悪さをしているといったりして、

それを鎮めるため、成仏してもらうために、何かを買わせたり、

お金を出させたりする場合がある。

それを信用させるために「死んでも納得していない人がいる」と

言ったりする。

だけど、納得せずに死んだ人なんか、親戚縁者を辿って行けば

そりゃ何人かはいるだろう。

「死んだ人が現世に影響を与えられる」と考えなくても、

死者とのつながりを感じられる場面はある。

それは墓参りだったり、親戚縁者と会って交流することだったり。

お金に頼るんじゃなく、交流することですよ。