「問題」は周囲の人がつくる 

ひきこもりの問題は、つきつめていくとお金の問題だけが残る。

それがだんだんわかってきたので、いまひきこもり関連で

問題になるのは8050問題なのだ。

ひきこもる人の中には幸福感を感じている人もいる。

それでずっと暮らしていけるのならそれでいい。

昔は資産家の子息にそういう人がいた。

別に努力して勉強して、結婚して子どもを産むだけが人生じゃない。

「問題」というのは、全部そうなのだ。

本人が不幸だったり、他人に迷惑をかけたりすると

問題になるが、それ以外は「そういうこともあるわな」となる。

これは発達障害もそうだ。

本人の生活に支障が出たり、職場で他人に迷惑をかけるときだけ、

何かの工夫が必要になるのであって、それ以外は問題ない。

認知症もそうだ。

周りの許容範囲が広くて寛容であれば、

「とぼけたおじいさん」ですんでしまう。

周りの許容度が低いから「問題化」されてしまっている事象は

多いんですよ。

「問題のある広告」「政治家の失言」とかね。

寛容でゆるやかな社会だったら、「そういうのもあるわな」で

済まされる。

許容度が低くなっている社会の背景にあるものを

取り除くことが必要よね。

それはたぶん格差なんだろう。