「世の中をよくしよう」は危険 

記事を書くとき、「世の中をよくしよう」ということが

以前はどこか頭の片隅にあった。

最近、この考えは危険だなと思うようになった。

誰にも伝わらないばかりでなく、弊害のほうが大きくなる。

なぜなら、「世の中をよくしよう」と思って書いた記事は、

ほとんどの場合、読んでほしい人には読まれないからだ。

「モラルに気を付けよう、マナーを守ろう」と警鐘を鳴らす

記事を書いたとしても、すでにモラルが高い、マナーに関心の高い

人しかクリックして読まないからだ。

モラルの低い、マナーがなってない人は、モラルやマナーに関心がない

からそういう人ができ上っているのだからね。

だから、すでにモラルが高い、マナーに関心の高い人は

どんどんモラルが高くなり、マナーに厳しくなる。

真面目な人ほど窮屈さを感じる。

マナーがなってない人は、モラルやマナーに関心がない人は、

その場から一向に動かない。

こういう人に読んでもらうには正攻法ではダメだ。

「モラルの高い、マナーに関心の高い人が陥りがちな末路」

と真逆のタイトルにするとか、工夫が必要だ。

自分が上から教えてやろう、諭してやろうという姿勢で

記事を書くことはもっと危険だ。

大事なことは、自分も苦しいのだということを表現すること。

思考の過程を書き、「自分はこう考えた」とだけ言えばいい。

そのほうが伝わる気がするのである。