戦ってくれる人

一緒に仕事をしたいと思える人というのは、
「これはおかしい」と思った場合には、
上司や他の人と戦ってくれる人だ。
私が一緒に仕事をしている編集者さんはそういう人が多い。
こんなことがあった。
私がゴーストとなってある著者がしゃべったことを原稿にした。
原稿は著者にわたり、著書が自ら手を入れた。
原稿はほとんど書き直されていた。よくあることだ。
この著者は最後に本ができるというとき、
印税は10%ほしいということを言い出した。
普通、ゴーストライターを使った場合、総枠10%の印税を
5対5とか、6対4の割合などで案分する。
最初の話し合いでは、「私はそれほど文章にこだわらないから書いてほしい」
ということで、たしか6対4か、7対3で著者が多く取る
ことで双方が了承した。
だが、原稿に手を入れているうちに、
どんどん自分で書きたくなってきたのだろう。
ほとんど自分で書いたのと同じくらいの相当な時間をかけて手直しした。
そこで、こんなに時間をかけたのに、これぐらいしか印税が入らないのか
と思ったのかどうかわからないが、案分率をを変更してくれと
著者は編集者に言ってきたのである。
私はその話を聞いた瞬間、「最初と話が違う! それは承服できない!」
とすぐに思ったが、それを口に出す前に編集者から
「ですが、私はこの申し出は拒否しようと思っています。
初版は最初の約束通りにして、代わりに再版以降を10%にすることで
納得してもらうように説得する。
なので、あなたにもそれで理解してほしい」
と説明された。
こういう話になったとき、あわよくばライターに泣いてもらい、
著者との関係を優先しようとする編集者もいるだろう。
この編集さんは最初からそういう駆け引きをせずに、
自分の職業倫理に照らし合わせて判断したのだった。
彼が「著者がこう言っているので、今回は我慢してもらえませんか?」
と言っていたら、私は折衷案も拒否していただろう。
私は、この編集さんが私のことを守ろうと著者と戦おうとしていることが
わかって安心し、折衷案に賛成したし、何より嬉しかった。
こういう人との仕事はよりがんばろうという気になる。
最初の約束を反故にしたのだから、どう考えても先方に非がある。
それでも一緒に仕事をする人を単なる駒としか思わず、
自分の保身をする人を私は信用しないし、心から軽蔑する。
単なる駒として使う人には、単なる駒としてしか働かず
それ以上のことは決してしないと、私は心に決めている。
どうせそういう人との関係は、長続きしないとわかっているからね。
幸いなことにそういう人は、私が付き合っている仕事人の中にはいない。
翻って、自分が逆の立場になったとき、自分の保身のために
一緒に仕事をする人を駒として扱っていないか点検してみないといけない。
他人にやったことは、必ずまわりまわって自分に返ってくるから。