バースと広島

夏といえば、怪談。
妖怪と幽霊は日本の夏の風物詩ですね。
妖怪はともかく、幽霊というか、霊魂というのは、
私は昔から信じている。というか、信じたいといったほうが正確だ。
親しい人が死んでも、霊となって存在し続けてくれたらいいなと。
でも、それが現生に影響を与えられる存在であってほしくはないし、
そういうことをいう人は絶対に信じない。
特に、霊魂が物理的な影響は与えられるというのは絶対にありえない。
このことを肯定している人からいわせると、
「いや、思いを残して死んでいくと、そういうことが
できるようになるんだ」というのだ。
このことについて、上岡龍太郎氏はかつて、
「それやったら、なんでバースが広島球場で
あんだけホームラン打てんねん」
といっていたが、そのとおりだ。
「思いを残して」というが、だったら人間だけが影響を及ぼせるわけはなく、
生き物すべてが現生において物理的影響を与えられることになったら、
現生の社会は成り立たないだろう。
すべての生物はある一個の生物から始まったのだから、
共通の祖先をもつ人間、犬、猫、牛、豚、鶏など、
全部の「非業の死」を遂げた生き物たちは霊魂になる。
これが現生に物理的影響を与えられるなら、えらいこってすよ。
生きて、バーチャルな世界でなく、実際にカラダを動かし、
ボールを投げ、階段を上がり、車を運転し、抱き合うから、
生きていることはすばらしいのだ。
ぼくも死んだら、草葉の陰でそっと見守るよ。