森林が万物のもと

今後の森林インストラクター試験のモチベーションアップのためにも、
なぜ森林に興味を持ったのかを覚え書きしておこうと思う。


そもそもは仕事を始めて3年ぐらいたったころのこと。
大手出版社の仕事をしていた私は、
その会社が主催する印刷所の見学会に参加した。
制作スタッフも印刷工程を知っておいたほうが、
仕事の進め方が違ってくるだろうとの思惑があるからだろう。
見学で勉強になったこともあったのだが、
私はそれとは別のことが気になった。
紙の本がつくられるのは印刷所がスタートかもしれない、
じゃあ最後はどうなるのか――。
そこで、ある中堅出版社の重役さんに
「断裁現場が見たい」と申し出た。
本は書店から返本され、一定期間が過ぎると断裁にまわる。
ただの紙くずになり、再利用に回される。
断裁見学ツアーはいまだに実現していないが、
調べていくと日本で生産される紙の原料となるパルプは
多くが外材によって支えられていることがわかった。
最大の輸入先はオーストラリアで、あとはアメリカ、チリ、
南アフリカニュージーランドなどだ。
輸入比率は08年で72%もある。
「自分がつくった本は外国の木材のお世話になっているのだ」
ということがわかった。
これまで60点以上の本をつくった。
累計でいくと100万部前後の本が市中に回ったはずだ。
そのうちのいくらかは断裁された。
もちろん、断裁された紙くずは、いくらかは再利用されたはずだが、
いくらかは燃えて二酸化炭素になったに違いない。


「売れない本をつくることは、環境に負荷をかけることになる」


このことが頭のどこかにずっとあった。
本の森林から伐採された木であるならともかく、
外国の木を切り出して、本をつくり、いくらかは燃やしている。
この現実をどうとらえればいいのか。
「よし、いい本をつくって本棚にいつまでも並べてもらえるようにしよう」
そうすれば、二酸化炭素を固定できる。
そう思う一方で、森林を守ったり育てることができないかと
思うようになった。


思えば育った岡山の地はその名の通り山ばかりの地だった。
山を駆けずり回って遊んだ。緑があることが当たり前だった。
19歳で東京に来てからは、遊ぶ場所といえば新宿や渋谷ではなく、
多摩や山梨の山や川であり、温泉だった。
いろいろものごとがわかるようになると、
身の回りの生活のさまざまな面で森林がベースになっていることを知った。
たとえば、近所のビール工場に行けば森林で育まれたおいしい水が
ベースになっていることを知り、温泉に行けば森林によってミネラルが
付加された水によってできていることがわかった。
あらゆるものが植物という第一次生産者というベースがあるからこそ
成り立っていることを知った。
でも日々の生活ではそうしたことを意識することはなかなかできない。
人々にそうしたことを伝えることが、森林を守ったり育てることに
つながるのではないか、と考えた。
いわば、売れない本をつくってきたことへの贖罪であり、紙の不安など
考えることなく、本を安心してつくれることへの恩返しである。


自分の仕事が世の中にどのような影響を与えるか。
自分はただの「歯車」だって? そんなことは絶対にない。
考えたらやるべきことが見つかると思っている。