子から親へのクリスマスプレゼント

クリスマスに思い出したい話③


私がいつも紹介しているロバート・フルガム氏の本の中には、
クリスマスの逸話が多い。その中からまた1つ紹介しよう。
『いったいぜんたい、どうしてこんなことをしてきたのだろうか』
の中の「オレンジ」という話である。


フルガム氏が牧師だったとき、クリスマスに関する逸話を
教会の会衆に呼びかけて募集した。
そのとき、ガッシー・ブロックという女性の話が目にとまった。
ガッシーの祖先はノルウェー人でバイキングだったが、
9世紀のころアイスランドに住み着いた。
第一次大戦後、一家はカナダのサスカチュワンに移住し、
西部で農業を始めた。
夏は酷暑、冬は厳寒という厳しい自然条件のなかで、
作物は育たず、一家は食うや食わずで過ごした。
その後、一家はアメリカ・ワシントン州に移り住み、
彼女は結婚して子どもを産み、フルガム氏が住む町の教会員になった。


話は彼女がカナダにいたころのことである。
まだ幼かった彼女は、厳格な父と、病の床に伏せて食べる力もない母、
兄たちと厳しい自然の中でようやっと生きていた。
作物の育たない地での生活は貧しく、冬は干した牛の糞を薪の代わり
にしたし、食事はじゃがいもとカブだけで、それだって一冬もつか
どうかわからなかった。
クリスマス・イブだからといってプレゼントなど望むべくもなく、
どうにか暖かく過ごせればいいという日々だった。
そんなあるクリスマスの朝、父親が朝早くから火を炊いていた。
父は頑固で真面目一徹。
そのぶん優しくもあったが、アイスランド人の気質か、
気持ちを表に出すような人ではなかった。
そんな父が火のそばに来るようにいう。
もともとクリスマスプレゼントなど望むはずがなかった。
どうにか生きられている状況で、そんな贅沢が言えるはずも
なかったからだ。
眠気と戦いながらようやく寝床から這い出したとき、
彼女はあっと驚く。
テーブルに敷かれたナプキンの上にオレンジが1つあるではないか。
見渡す限り雪原の一軒家に突如現れたオレンジ。
父はいう。
「メリークリスマス、おまえたちにオレンジだ」
当時の状況ではオレンジを手に入れることは奇跡に近かった。
何しろ、鉄道の駅まで馬で2日、一番近い村まで3日かかる。
やさしい父親ならばそのくらいものともしなかっただろう。
しかし、父親はどうやって手に入れたのか明かさず、ただひと言、
「奇跡だよ」というだけだった。
父親はきょうだいたちに均等にオレンジを分け与えた。
彼女は触れたら消えてしまわないかと心配しながら
オレンジを手にして、むさぼりながら食べた。
指から顎から汁を滴らせながら。
彼女はいう。
「あのオレンジのおいしかったこと!」
あれほど甘いオレンジを口にしたのは初めてだった。
と、そこで一番上の兄が大きな声で「待て」という。
「父さんのがない」
オレンジはすべて子供たちに分けてしまい、父親のぶんがなかった。
兄は自分のオレンジをナイフで切って、父の前へ押しやった。
それを見たみんなも同じようにした。
集まったオレンジを父親はまた2つにわけ、
「母さんのだ。少しよくなったら食べさせよう」といって、
自分のぶんを厳かに口に運んだ。
父親が涙を流したのは、後にも先にもこのときだけだった。
彼女らきょうだいにとっては、
こんなに素晴らしい贈り物ははじめてだったと口にしたが、
父親の心は別だった。
子供たちが父のぶんがないことに気づいて、それぞれの取り分の中から
分け与えてくれたことが何よりのクリスマスプレゼントだ、と。
このあとどんなに子供たちが種明かしを求めても、
父親はとうとう秘密を明かさないまま亡くなった。
そして、このときのことは家に代々伝わることとなった。


自分が苦しいときに子どものことを思える親、
自分が甘えたいときに親のことを思える子ども。
思いやりが一番のプレゼントだなんて素晴らしい。