20年の凄み

たまに一緒にお仕事をさせていただく校閲さんがいる。
校閲というのは、原稿の文字の誤り、事実関係の誤りを直す人である。
校正ともいう。原稿に赤字を入れるのが仕事である。
もう60歳になる方だが、私が尊敬する人のひとりだ。
なんといってもその知識量がハンパではない。
30歳になる手前から彼は尋常ではない努力をした。
何をやったか?
辞書を読んだのだ。それも最初から。
辞書は引くものであって、読むものではない。
なのに「あ」から順に読んでいった。
それも一冊ではない。何冊も読んだというのだから、尋常ではない。
そんな彼が「いいものをあげるよ」という。
なにかと思ったら、彼的百科事典であった。
モノとしてはワードの文書が1本だ。
彼が校閲の仕事をするなかで、複数の資料にあたり、自分の中で確定して
いった「事実」を書き込んだものだそうだ。
一つの言葉を調べるたびに、記録していった。
たとえば、「十字を切る」という項目がある。
キリスト教徒が祈りのときに頭と胸の前で腕を交差させるやつだ。


ラテン典礼では額→胸→左肩→右肩の順だが、
ビザンチン典礼では額→胸→右肩→左肩の順になる。


などと書かれている。
こういうのが無数に収録されている。
もうこれで百科事典ができてしまいそうだ。
原稿を書くときにも重宝しそうである。


が、しかし!
このワードファイルは使えない。
まったく実用的ではない。
なぜか?
ファイルが大きすぎるのだ。
ワードのファイルの大きさでなんと16メガバイトである。
こんな大きさのファイルを開くと、私の6,7年使っているパソコンでは
メモリがいっぱいいっぱいでフリーズしてしまい、他のファイルを
開いたり、ネットで検索することもままならない。
38×32の文字組みで、6375ページある。
これだと大体、単行本が60冊以上できる分量だ。
ワープロが出始めたころから書きはじめ、
20数年をかけてこれだけのものをつくりあげたという。
彼は60歳で校閲の仕事に一応の区切りをつけ、
別の仕事もやりたいという。
校閲という仕事の集大成として、この百科事典をつくったわけだ。
職業人としての「凄み」みたいなものが
この百科事典を通して伝わってくる。
積み重ねることの「偉大さ」が伝わってくる。
ボリュームというものは、それだけで人を感動させる。
たぶんぼくは、あと30年は仕事をする。
30年でどんなボリュームが残せるか。
何か意味のあるものを残せたら、と思う。