サンタクロースがいる証拠

新婚旅行でニューヨークに行ったとき、
どうしても行ってみたかったのが
「メーシーズ」という百貨店。
毎年クリスマスの時期に感謝祭と称してパレードをする様子が
日本でも流れたりする。
映画『三十四丁目の奇蹟』ではそのメーシーズを舞台に
物語が展開する。
なんたって
「サンタクロースが実在することを立証する」映画
なのだ。
あるとき、百貨店のパレードのサンタクロース役として
たまたま登用された、通りすがりの老人クリスは、
子どもの夢を壊すまいと、「私はサンタクロースだ」と宣言したため、
百貨店のお抱えカウンセラーから「精神異常」とされ、
病院に収容されてしまう。
そしてクリスがサンタクロースか否かを判定する審理が
法廷で行われるというストーリーです。
あることが起こって、クリスはサンタクロースであることが
立証されます。(それがこの映画の肝なのでナイショです)


「サンタはいるよ、みんなの心の中に」
という人はいるでしょう。
でも、この映画はそういう話じゃないんですよ。
「子どもの夢を壊さないように、サンタはいるってことに
しときましょうよ」という大人たちの談合の話でもない。
ましてや「夢をもちましょう」といってるのでもない。
なんというかな、「信じること」について言っているんですね。
クリスが救われるのは、子供たちの信じる心によってでした。


サンタを見たことがないからいないというのであれば、
神様を見た人がいないのに世界中で神様を信じている人が
いるのはどうしてか。
今の年齢になってサンタ問題についての考えとしてまとめると、
サンタは人間として「いる」というよりも、存在としては「いる」と
いう解釈でよいのだと思っています。
神様やサンタのように深い意味で存在を云々するときには、
「いる」という言葉を、ツチノコヒバゴンネッシーなどと
同列に扱ってはいけないのです。
サンタがいなければ、どうして世の親はプレゼントを買うのでしょうか。
親もサンタが人間として実在するとは別次元で、
サンタが「いる」と思えばこそプレゼントを買う。
親にプレゼントを買わせるのは、何よりもサンタの存在が
そうさせているです。
それが、実はサンタが「いる」ことを証明している。
この映画の結末と同じことがいえるのです。


サンタを信じているのは、実は12月25日の朝に枕元にある
プレゼントを期待する子どもたちではなく、
プレゼントを買う大人たちのほうなのだ。
私たちは見えないものを信じてお金を払う。
お金だけではない、時間も労力も、もしかしたら愛情も注ぐかもしれない。
見えるものだけを信じるようになったら、
それは逆に子供への退行です。