優しさと不安の裏返し

驚異的といっていいほど世間の耳目を集めた
プロボクシング・亀田興毅選手の試合について。
新聞の記事を読んで、彼の過度なまでのパフォーマンスが
理解できたような気がした。
彼は幼少のころ、いじめられっ子で、泣き虫だったという。
それを克服するためにまず空手を習ったという。
なるほど、そうだったのだ。
ならば、あの過度なパフォーマンスもうなづける。
何も確証はないけれど、彼のパフォーマンスは気の優しさと
不安の裏返しだったのではないかと思った。
彼をよく知る人に言わせると、大人に対してきちんとした言葉づかい
ができるのだという。また、弟妹たちの面倒見もよいという。
しかし、メディアに写る彼は誰に対しても敬語を使わず、
「です・ます」さえも駆使しない。
けれど、それも全て弱気な自分を奮い立たせるための術なのだろう。
世界戦での第1ラウンドの彼の表情は、まるで先生に呼び出されて
職員室前にたたずむ小学生のようだった。
緊張と不安が極限に達したような表情だった。
ところで、過度なパフォーマンスというと、大相撲の高見盛を思い出す。
彼のパフォーマンスも本人曰く、
「気弱な自分を奮い立たせる術」なのだそうだ。
亀田選手も本来は優しくて、気弱な青年なのだろうと思う。
それを払拭するため、自分に暗示をかけるための大言であり、
過度なパフォーマンスなのだろう。
そうでもしないとボクシングの恐怖に勝てないのだ。
どれだけ強いといっても試合前は怖いものだと思う。
判定結果の是非はどうあれ、彼はもう十分に強くなった。
子どもじみたパフォーマンスをやめたとき、本当の意味での
凄みを備えた彼を目撃できるのだと思う。