空気を読む力

この日は6時にはお店に入り、夕食を食べようとしていると、
亀田興毅、メキシコへ出発」というニュースを中継していた。
ハイジャックでもあるまいし、中継するほどのことがあるのか
という思いで見ていた。
こんなのはちょっと異常ですね。
次男の試合以来、亀田家への取材は相当なものがある。
なんたって、女性誌まで記事をのっけてるんだから。
一連の騒ぎを見ていて思うのはふたつある。
一つは、彼らのパフォーマンスについて。
記者会見で毒づいてみせたり、対戦相手をゴキブリ呼ばわりしてみせた
亀田一家だが、日本やアメリカのプロレスを見すぎたのかもしれない。
プロレスでは「抗争」すらも計算されつくしている。
記者会見でのやりとりなど、すべてが筋書きのあるドラマなのだ。
ビートたけしが、「昔、ジャイアント馬場ラッシャー木村が抗争を
繰り広げていたとき、試合前に会場の裏に行ったら、駐車場で二人で
キャッチボールをしていたのには笑った」と言っていた。
プロレスでは相手を罵倒するのもプロレスのひとつなのだ。
ところが、亀田一家はまじめなので、「ああやれば受けるんだな」と
思ってしまった。
もう一つは、日本のホンネとタテマエの社会の空気を読み損ねたことだ。
日本人というは、「ああしなければいけない、こうしなければいけない」
ということは、通常言われていたとしても、それはタテマエの部分で
あって、そこから少しはみ出しても、みんなが想定する予定調和の
中でおさまっていれば、抹殺されることはない。
みんなが想定する予定調和のレベルが「ホンネ」の部分なのだ。
そこを逸脱すると、「ちょっと待てよ」ということになる。
亀田一家の行き過ぎたパフォーマンスは、ギリギリ予定調和の範疇だった。
しかし、例の次男の試合で予定調和から逸脱してしまったために、
みんながホンネで語らなくてはならなくなった。
本来、格闘技に「相手への敬意」など考えてはいられないはずだ。
やらなければ、自分がやられるのだから。
でも、相手をやっつけるための理由付けを自分の中でどう持っても
勝手だ。「あのゴキブリをやっつけてやる」と思わなければ、もう十分
にお金を持った人たちが闘う理由をもち得ないのもわかる。
だが、相手をバカにするようなことを言ってはいけない
「思っていても言ってはいけない
これが相手への敬意なのだ。
次男のあの反則試合は、パフォーマンスの延長線上にあった。
パフォーマンスのレベルで、周りの空気を読むことができていれば、
予定調和から逸脱することはなかったはずなのだ。
誰かが批判してくれていることを受け止めることが、
空気を読むことにつながる。
亀田一家が耳を貸すような存在がいなかったのが残念だ。
この騒動を早く静めて、ボクシング道に精進してもらいたい。