生産性なんて 

昔は生産性というのをうるさくいってきた

コスパだのなんだの。

そういう本を何冊もつくってきた。

それは生産性がなかったから。

でも、今は生産性なんて言葉は使いたくない。

生産性のほうに意識がいきすぎていると思うからだ。

特に生き方に関する部分では。

女性が子どもを産まないのを生産性がないと言ってみたり、

高齢者を生産性あるなしの観点から、「集団自決せよ」なんて

いうことを言う人が出てきているかだ。

こういうのはまことに胸くそ悪い。

生産性など、いくつもある側面のある一部分にしか過ぎない。

人の価値はそんなものでは測れない。

これからは「生産性なんてクソくらえ」という

本をつくっていきたい。