できるだけ遠くへ

3月21日、私の中学時代の同級生の葬儀が行われた。

その同級生の名を阪本清香(SAKAMOTO KIYOKA)という。

彼女とは中学時代、最も仲がよく、大学時代、社会人時代にも

ほんとうにごくたまにではあったが、

連絡を取り合った仲であり、コンサートにも行った。

私が結婚してからは直接やりとりすることはなくなっていた。

彼女から連絡が来ることはなく、律儀な彼女らしかった。

彼女は高校の途中からアメリカに留学し、

そこで自らの中に歌の才能を見出し、

オペラ歌手の夢を持った。

帰国後、夢を叶えるべくアルバイトをしながら腕を磨き、

30歳になってからは本場イタリアへ渡り、

ついにプロの夢を叶えた。

さらには女優へと活躍の場を広げてこれからさらなる飛躍を

するはずの矢先に……。

大学時代の野球部同期から連絡が入ったのは、

20日のことだった。

彼の勤務先の同僚に彼女の弟さんがいたのだ。

あまりに突然のことで言葉が見つからなかった。

彼女が言っていたことで、印象に残っていることが三つある。

 

一つは、苦労をかけた両親を

自分が稼ぐことで楽にさせてあげたいということ。

 

一つは、歌っているときに霊的なもの感じることがあるということ。

このブログに私が霊的なものの存在を「あってほしい」と表現した

のを受けて、コメントしてくれたことがあった。

自分の感性を理解してくれる人がいたんだと思ったんだろう。

 

もう一つは、自分は故郷から遠く離れた地で、

できるだけ遠くへ行ってみたいと言っていたこと。

自分が活躍することで遠くへ行くんだという決意を感じた。

 

とにかく努力の人で、英語、イタリア語が堪能だった。

明日が最後かのようにして今日を過ごす彼女の人生に対する

姿勢は、「自分もがんばらねば」といつも刺激になっていた。

44歳はとても早すぎる。

だけど、人生の濃密さは人の数倍あったのではないか。

人生の最後の数か月を、家族とともに、

生まれ故郷の風景を見ながら過ごせたことは、

少しの慰めになったかもしれない。

彼女の人生に対する姿勢をこれからも見習っていく。

人生をかけて伝えようとしていた彼女のメッセージを受け取り、

これからも精いっぱい生きていく。

それが思い出を残してもらった者としての責任だ。