過程を認める

感銘を受けた野村克也氏のエピソード。

 

彼はバッターボックスで球種やコースを推測することを

推奨していた。野球でいうところの「ヤマ張り」だ。

才能に恵まれていない自分が活躍するには、

頭を使うしかないとわかっていたからだ。

頭を使うことを選手にも求めたのは、

弱小チームが勝つための方法論だった。

彼は自分の人生を通して身に着けた哲学を、

チーム作りにも投影させていった。

たとえば、こうだ。

三振をしても、ヤマを張って勝負した結果なら叱らない。

三振してベンチに返ってきた選手に、

「勝負したんだろ? それでいいんだ」といって認めた。

三振という結果だけ見て叱ると、

叱られないように当てにいく打撃になる。

叱られないことが目的化する。

目的は当然、ヒットを打つことなのだ。

弱い者はヤマを張れ、頭を使え、そう促したわけだった。

 

ある高名な大学の先生も言っていた。

子どもはテストの点数で叱るのではなく、勉強しなかった過程を叱ること。

テストの点数は能力の問題だからその子の責任ではない。

でも勉強しなかったのはその子の心の問題だから。

これも過程が大事という話だ。

 

結果だけで叱らない、過程を見て、認めてあげる。

そうであるべきなのは、

人生はその日で終わりでないから。

人生は長いから。

野村氏の深い人生哲学が見える。